関東の洞穴について


 

 今回、東京で日本洞窟学会の洞窟大会が開かれるにあたり、関東の洞穴についての話題を記念講演にしたいということで、この関東で長くケイビングを続けている自分に講演依頼の話が回ってきました。
 とくに何か研究課題を持っているというわけではないので、関東の洞穴の話題と言っても体験談的なことしか話すことができませんが、そのようなものでかまわないと言うことでしたので、ケイバーの目線から関東の洞穴について話をさせていただきたいと思います。

 関東は、ケイビングをするにはフィールドに恵まれていない──それが、25年、この関東でケイビングをやってきて、一番思い続けていることです。
 首都圏ということで、おそらく、関東はケイビングを行う人間が日本中で最も多い地域だと思います。一緒にケイビングをやる仲間を集めるのにも、それほど苦労しませんし、実際、アクティブに活動しているケイビング団体も複数存在しています。
 この最もケイビング人口が多い関東で、日本ケイビング協会と日本洞窟協会、そして、日本洞窟学会(日本ケイビング協会と日本洞窟協会を統合した後の日本洞窟学会)時代を通じて、洞窟大会が開かれるのは、今回でやっと5回目です。といっても、今大会は洞穴巡検がありませんから、ケイビング大会という意味合いでは、これまでに4回──1979年の不二洞、1986年の大岳鍾乳洞、そして、1997年、1998年の富士山麓──そして、そのうち2回は熔岩洞ですから、石灰洞で開催された大会は、たった2回だけということになります。
 つまり、関東はケイビングを行う人間が多いにもかかわらず、いざ、ケイビングをやろうすると、ケイビングをするための適当な石灰洞が見あたらないのです。
 まず、2000〜3000m級の大規模な横穴がほとんどありません。1000mを超える横穴でさえ、指折り数えるほどです。
 縦穴に至っては、100mを超えるものは皆無です。むろん、洞穴内で高低差100mを超えるものはありますが、全高にわたってバーチカルケイブという形状ではありません。洞内における縦穴部分としては80mくらいが最長でしょうか。
 関東周辺に長い横穴や深い縦穴があまりないのは、大規模な石灰岩地帯が存在していないからです。秋吉台とか平尾台とかいったようなカルスト台地と呼ばれる地形がほとんどありません。それに類する地形があるのは、せいぜいが栃木県佐野市の旧葛生町周辺にある石灰岩体くらいです。
 関東における石灰岩体のありようは、基本的にはレンズ状の小規模なものがパラパラと散在しているだけです。しかも関東全域に均等に分布しているわけではなく、おおよそ三か所の地域に限定されています。関東西部の山岳部──南は奥多摩から奥秩父、奥多野を経て北は西上州周辺まで。そして、北東部の群馬県南東部から栃木県南西部周辺まで、それから、東部の茨城県北部周辺です。
 したがって、石灰洞も、これらの地域にしか分布していません。そして、そのうち、比較的規模が大きな洞穴は関東西部に点在しています。その理由は、関東西部が山岳地帯だからなのか、それとも他地域よりもただ単に範囲が広く、存在する石灰洞の数が多いため、比率の問題で規模が大きい洞穴があるだけなのかは定かではありません。
 ただ事実として、関東西部地域以外では総延長500mを超える石灰洞は現時点では知られていません。
 関東西部に分布する石灰岩体は南部では、南東方向から北西方向へ帯状に延びて、同時にレンズ状をなして断続的に点在しています。その石灰岩体の帯の傾きは、北に上がるにつれて緩やかになっていき、奥多野や西上州周辺では、ほぼ東西に延びるようになります。
 そして、これら帯状の石灰岩体の中には全山石灰岩と言うような山がいくつか含まれています。奥多摩の天祖山、秩父の武甲山、そして、奥多野の叶山などです。これらの山には大規模な石灰洞が存在している可能性がありますが、いずれも石灰石採掘のために入山できないばかりか、現在、山が崩されつつある状況ですので、洞穴があったとしても消滅してしまうことになります。
 あと、関東には富士山麓──山梨県も一応関東地方に入るので──富士山麓に熔岩洞が分布していますが、ほとんどの熔岩洞は総延長500m以下の小規模なものです。
 次に関東の洞穴の特徴についてですが、地質的には、なかなかこれといって説明できるものはありません。やはり、洞穴がある場所や標高、水流の状態によって、洞穴の形状や特質は千差万別です。
 ただ特徴として一つ言えることは、先に話したとおり、全体的に洞穴の規模が小さいと言うことです。長さ的には、1000mを超える洞穴は、熔岩洞の1本を含めても8本しかありません。このうち、さらに2000mを超えるものはたったの3本だけです。そして、3000mを超えるものは1本だけです。さらに500mを超える長さまでランクを格下げしても合計で12本しかありません。
 また、洞内空間的にも狭い洞穴が多く、ザックなどを背負って洞内を移動できる洞穴は、やはり指折り数えるほどです。
 ただ、ザックを背負って入洞できなくても、それほど深刻でないことも確かです。実際、食料などを持っていく必要がある洞穴は限られています。つまり、入洞して最奥部まで行き、そして、洞口に戻り出洞するまで、長時間を要する洞穴は、ほとんどないので、食料などを持っていく必要がないわけです。必要に応じて洞口近くに置いておいて、食事をするときだけ出洞すればいいのです。

 それでは、関東の主な洞穴を具体的に紹介します。基本的に入洞経験に基づいて話をするつもりなので、あまり入洞していない洞穴については、詳しい説明ができないことを最初にお断りしておきます。
 最初に述べたとおり、主な洞穴は、すべて関東西部の山岳地帯にあります。そのうち、一番の近場である東京都西部の奥多摩地域にある洞穴から紹介します。この地域には1000mを超える洞穴が4本、1000mには達しないものの、500mを超える洞穴が3本あります。関東で規模の大きな洞穴が最も数多く存在する地域です。
 可能な限り総延長が長い順に紹介したいと思いますが、一部、洞穴の位置関係の都合上、紹介順序が入れ替わっている場合もあります。

 日原三又(みつまた)洞。
 東京都西多摩郡奥多摩町日原の三又にあり、洞口は日原川左岸標高650m付近に開口しています。総延長3220mの横穴型石灰洞です。関東最長の洞穴であり、唯一3000mを超える洞穴です。
 発見の経緯は、公表当時の新聞によると、洞口から7、8mほどの部分は地元で知られており、1960年代末か1970年代初めごろにケイビング団体によって洞口が確認され、1970年代半ばごろに奥部への連絡部が発見されたようです。当時、複数のケイビング団体が入洞していたようですが、最初に連絡部を突破した団体は、水島明夫氏、山田博明氏らのグループ(日原三又洞発見当時、団体名がなかったそうです)のようです。
 その後、東京洞穴研究会の名称で探検、調査、測量が行われ、総延長が3000m以上あること、王冠状の鍾乳石など貴重な二次生成物が存在することなどが判明しました。
 総延長こそ関東一ですが、洞内の空間的な規模としては、それほど大きな場所はありません。基本的に立って歩ける程度の通路がほとんどで、一部、ホール状になって広がっている場所もありますが、小ホールレベルです。
 1978年の夏にPCCが入洞した時点では、二次生成物は豊富でしたが、水流は流れてはいませんでした。その後の洞内状況は把握できていません。関東を代表する石灰洞なのですが、残念なことに、現時点では探検、調査することができません。なぜなら、洞穴が石灰岩鉱山の鉱区内にあり、1978年10月に、その存在が公表されて以後、入洞が禁止されているためです。
 未探検ルートも残されているようなので、入洞が許可され、探検・調査がなされれば、新たな発見があることは間違いない洞穴です。ただ、石灰岩鉱山の坑道と繋がっている可能性も高いので──洞奥の方に行くと坑道の曳鉄線のものと思われる機械音が聞こえてきます──実際に入洞許可を取るのは、かなり困難な状況です。

 日原鍾乳洞。
 日原三又洞と同じく、東京都西多摩郡奥多摩町日原にあり、洞口は日原川支流小川谷の左岸標高650m付近に開口しています。総延長1270m、洞内高低差134mの横穴型石灰洞です。
 東京都の天然記念物に指定されており、洞口より洞の半ばくらいまでが、照明や通路が整備された観光洞として一般に公開されています。
 発見は非常に古く、1200年前の平安時代初期には霊場『一石山大権現』として知られていたと言われています。鎌倉時代以降は、修験道の修行場としても栄えたようで、洞内のあちらこちらで四角い穴が空いた古銭を見つけることができます。
 とくに非観光洞部分最奥部にある泥の洞壁からは、貝塚の貝のように大量に出土しています。それらの古銭は明らかに人為的に泥壁に突き刺したもののようですが、けっこう泥壁の高い場所まであり、とても人の手の届く高さではありませんし、また、人が登るのも困難な場所です。
 室町時代末期には、小田原の北条氏の家臣が一石山大権現の宮司として、日原にやってきたということです。そして、江戸時代には上野寛永寺の支配を受け、明治以降は日原の集落によって管理され、現在では、観光洞として営業されているわけです。
 昭和37年に、東海大学の探険隊によって、主洞部の洞口に近いあたりで上部に向かうクラック状縦穴が確認され、その上方に二次生成物が発達している上層部が発見されました。その場所は『新洞』と命名され、現在、観光洞の見所となっています。
 日原鍾乳洞では、この『新洞』の他は、ほとんど二次生成物を見ることはできません。また、洞内に顕著な水流はなく、ほんのわずかな水流と水溜まりがある程度です。
 洞穴の形状は、『新洞』を除き、基本的に横穴型です。観光洞部分の主洞部は、『新洞』付近まではクラック状の通路が続き、それより奥は細かく蛇行したルートで──と言っても、メアンダートレンチというわけではなく、天井高は人の背よりやや高い程度です。そして、観光洞最奥部には幅約20m、奥行き約50mの大きな崩落ホールが形成されていて、ここも観光洞の見所となっています。
 近年、日原鍾乳洞では、いろいろなイベントが企画されていて、この大ホールで洞内コンサートなども開かれたりしています。また、この大ホールより奥の非観光洞部分を利用して、体験ケイビングなどが行われています(2007年4月現在、体験ケイビングは休止中です)。
 話が少し横道にそれますが、この体験ケイビングは、日原の集落によって運営されている宿泊施設『ねねんぼう』のにっぱら自然学校──その自然体験プログラムの一つとして行われています。そのプログラムの立ち上げにあたっては、PCCも若干協力させてもいらいました。
 10人前後の参加者を2人のガイドで案内しますが、ヘルメット、キャップライト、つなぎ服などは貸し出され、一応、きちんとした格好で入洞します。参加者の人数に比べてガイドが少ないと思われるかもしれませんが、日原鍾乳洞での体験ケイビングなら、まったく問題はありません。
 じつは体験ケイビングの場となっている非観光洞部分の主洞部は、観光洞部分の主洞部とは形状が一変していて、そこへの入洞は実質的にケイビングとは言えないものとなっています。
 まず、支洞がほとんどない1本道であり、迷うような場所がまったくありません。さらに観光洞部分との連絡路の2〜3mは四つんばいで抜けなければなりませんが、あとは立ったまま歩くことができ、その規模も小型バスなら走れるくらいの大きさです。また、洞奥に向かって少しずつ下っていっていますが、ケイビングの技術を必要とするような段差はまったくありません。つまり、基本的には夜の山道を歩いているのと、ほとんど変わりません。
 ですから、ガイドは常に全参加者の状態を把握することができ、参加者の方も技術的に移動でないような困難な場所がないので、ガイド2人だけでも成り立っているわけです。こんなふうに聞くと、なんかつまらない企画だなあと思われるかもしれませんが、このようなケイビングもどきの体験企画でも日原自然学校のプログラムとしては一番人気だそうです。
 我々ケイバーは、つい失念しがちですが、ケイバーではない一般の人たちにとって、照明がなく、足もとも未整備な状態の、自然のままの洞穴に入るというのは、それだけで、非日常であり、冒険を体感できることのようです。今後も、このプログラムが継続され、ケイビングに興味を持つ人が増えることを期待したいと思います。
 なお、ケイバーにとっては、あまり魅力的とは言い難い日原鍾乳洞奥部の非観光洞部分ですが、それを承知のうえで、ケイビングしてみたいという方は、『ねねんぼう』に問い合わせてみてください。必ず入洞許可が出ると保証できませんが、一応、『ねねんぼう』が現時点での日原鍾乳洞へのケイビング窓口です。
 話を日原鍾乳洞の洞内形状に戻しますが、今も説明したとおり、非観光洞部分は緩やかな下り斜洞であり、その途中では大量の水が流れた痕跡を見ることもできます。また、最奥部は明らかに洞口前の小川谷の河床面よりも低い場所に位置します。さらに奥部に大量の泥が堆積していることからも、最近まで最奥部に向かって、そこそこの水流があったと推測できます。
 現在、洞口前の小川谷は伏流していませんが、以前は伏流していました。上流にできた堰堤の影響で地下水流の流れが変わった可能性があります。非観光洞部分に水流があり、その最奥部が地底湖だったすると、泥の洞壁の高い場所に突き刺されたように埋まっている古銭の謎が解けます。水位が高い時代に筏か何かで行って、壁に突き刺せば可能だからです。
 日原鍾乳洞の今後の探検課題としては、非観光洞分での上層部発見ということになると思います。天井部の数カ所で上層部にアタックできそうな場所があります。

 倉沢鍾乳洞。
 東京都西多摩郡奥多摩町倉沢にあり、洞口は倉沢谷左岸標高660m付近に開口しています。総延長約1400mの横穴型石灰洞です。
 洞口より洞の半ばくらいまでが、照明なし、ルート整備のみの観光洞として一般に公開されていましたが、1980年代に閉鎖されました。観光洞として営業していた頃は、非観光洞部分へのケイバーの入洞が許可されていましたが、廃業後の1990年代には全面入洞禁止の措置が取られています。そのため、現時点では探検、調査することができません。
 発見は日原鍾乳洞と同様、とても古く、日原鍾乳洞と同じ頃より修験道の修行場として知られていたようです。というか、日原鍾乳洞と倉沢鍾乳洞の両洞がセットの霊場だったようで、それぞれ金剛界、胎蔵界と称されていたようです。この倉沢鍾乳洞はじめ、付近の小洞穴でも、やはり古銭が出土しています。
 倉沢鍾乳洞は、支洞の数が多く全体的に迷路状をなしていますが、主洞部と思われるメインのルートはアルファベット大文字の『A』のような形をしています。『A』の右下が洞口、左下が倉沢谷上流左岸にある『倉沢の水穴』に通じている地底湖、そして、横棒がPCCのディギングによって繋がった、洞口と最奥部の間をショートカットする連絡ルートです。
 PCCでは、倉沢鍾乳洞が入洞禁止になる前に50回以上のケイビングを行い、ショートカットルート以外にも数多くの新支洞を発見しています。『倉沢の水穴』に通じる、『水晶池』と命名した地底湖やその上層20mの場所に広がる『奥の院』などです。
 この『奥の院』の支洞では、外気──草木の臭いを感じられる場所があり、ここをディギングすれば、第4洞口となった『倉沢の水穴』に続く、第5洞口なることは間違いありません。
 また、『A』の字の頂点には、夏場に風が勢いよく吹き出している、上方に向かう支洞──『くものぼり』(観光洞時代の名称)がありますが、途中から狭くなって入洞不能になります。この奥からはコウモリも飛び出してきたりしていますから、おそらく、現在知られている倉沢鍾乳洞の主洞部よりも上層に、未知の空間があることも間違いありません。
 このように、倉沢鍾乳洞にはまだまだ探検・調査の余地が残されています。また、迷路状の洞穴ではあるものの、一部を除き、それほど技術的にむずかしい場所がないので、ケイビングの練習にも非常に適しています。PCCが50回以上通ったのも探検だけではなく、初心者のケイビング練習を行っていたからです。
 というわけで、倉沢鍾乳洞については、なんとか入洞許可を取りたいと思い、現在、PCCで渉外をしています。
 倉沢鍾乳洞の入洞禁止の措置を取っているのは、地主より管理を委託されている日原の一石山神社ですが、現在、一石山神社には社務所などがなく宮司もいません。じつは日原集落の氏子が神社を運営しています。つまり、実質的に日原鍾乳洞を管理している方たちと同じわけです。
 それで日原の宿泊施設『ねねんぼう』とコネクションができたのを契機に、『ねねんぼう』を通じて話をしているところです。去年の6月に、倉沢鍾乳洞で体験ケイビングプログラムがあり、そのサポートを通じて入洞することができましたが、まだ、ケイバーが自由に入洞できるというところまで、話が進んでいません。
 窓口は『ねねんぼう』ひとつですが、話を決めるのは日原集落の複数の人たちなので、なかなか一朝一夕に入洞OKとはなりません。ですが、少しずつ話を進めていくつもりです(2007年4月現在、体験ケイビングの休止に伴い、『ねねんぼう』ルートの渉外は停滞中です)。 

 小袖鍾乳洞──正確には大小15の洞穴からなる小袖鍾乳洞群です。
 山梨県北都留郡丹波山村と東京都西多摩郡奥多摩町の境を流れる小袖川の両岸に点在しますが、メインの洞穴は山梨県側あり、洞口は、おおむね小袖川左岸標高850m付近に開口しています。
 第1洞、第2洞、第4洞、第7洞が比較的規模があり、それぞれ総延長が180m、300m、280m、378mあります。また、第1洞と第7洞、第2洞と第3洞と第4洞は洞内で連結しているので、それぞれが1本の洞穴なり、総延長も558mと650mになります。
 さらに、この2本は洞内で声が通るということで、ディギングしだいでは接続する可能性もあります。そうなれば、小袖鍾乳洞も1000m以上の洞穴に仲間入りすることになりますが、残念ながら、この小袖鍾乳洞群も現時点では丹波山村により入洞禁止の措置が取られていて、ディギングはもちろん、探検、調査など行えない状態です(2007年4月現在、きちんとした活動計画書を提出すれば、入洞が可能となったようです)。
 この小袖鍾乳洞群は、倉沢鍾乳洞同様、ケイビングの練習を行ううえで非常に有意義な洞穴です。洞内が迷路状になっているうえ、複数の洞口があるので、この洞口から入洞して、あの洞口から出洞するというような練習課題を作り、それをクリアしていくうちに自然とケイビングのテクニックなども磨かれます。
 とくに第2洞、第3洞、第4洞の連結洞は非常に立体的で、チムニー技術なしでは移動もままなりませんし、洞内の形状を理解して連結ルートを探さないと、他の洞穴に抜けることもできません。
 というわけで、この小袖鍾乳洞群もぜひとも入洞許可を取りたい洞穴ですが、現時点では、PCCで渉外に手をつけていません。他にいろいろと渉外事があり、ここまで手が回らないというところです。 

 青岩鍾乳洞。
 山梨県北都留郡丹波山村にあり、洞口は青岩谷右岸標高1170m付近に開口しています。総延長約800mの横穴型石灰洞です。
 山梨県の天然記念物に指定されています。以前は三条の湯山小屋の方がガイドについて、一般の人でも入洞できる体験ケイビング的な観光洞でしたが、現在はガイドが付かず、ケイバーのみ入洞可能という、まさにケイビングをするための洞穴になっています。洞口には鍵付きの扉が付いているため、無許可での入洞はできません。
 難点は、公共の交通機関で出かけるには遠すぎるというところです。バス停から林道終点まで相当距離があり、車を使っても林道終点から1時間半ほどかかります。
 洞内は、洞口からしばらくはあまり広くないルートが続きますが、洞半ばくらいから空間的に広がりを持ち始めます。洞奥には水流があり、二次生成物も比較的良く発達しています。その保存状態も入洞制限があるため、良好です。
『青岩氷河』と命名されている真っ白なフローストーンやメルヘンランドと呼ばれている二次生成物が発達している場所などが見所と言われていますが、個人的には滝の上のホールが見所ではないかと思っています。ほとんど人が入っていないため、二次生成物が、どうのこうのと言うよりも、ともかくすべてが真っ白で綺麗なのです。この後で、紹介する奥秩父地域にある瀧谷洞の洞内に似た感じです。 

 大岳鍾乳洞。
 東京都あきる野市養沢にあり、洞口は大岳沢右岸標高300m付近に開口しています。総延長1002m、高低差48mの縦横複合型石灰洞です。
 東京都の天然記念物に指定されており、洞内の大部分が照明や通路を整備した観光洞として一般に公開されています。ただし、観光洞と言っても、全体的に頭を上げて歩けないような低い天井の通路が続き、また、太った人では通り抜けるのに相当苦労するような狭洞などもあります。
 発見は、1961年10月で、山から水蒸気が上がっているのを見た地主の方が探し出したそうです。さらに1986年に行われた日本ケイビング協会の調査によって、観光洞最奥部の『無限天井』と呼ばれていた縦穴上部に新支洞が広がっているのが発見されました。
 この上部新洞の発見後の測量により、それまで約300mだった総延長が一挙に3倍の1000mになりましたが、入洞した印象としては、全体的に狭洞部が多いせいか、そこまであるようには感じられない洞穴です。二次生成物は観光洞部分、上部新洞ともに洞内各所で見ることができます。
 なお、このケイビング大会での洞内巡検の際、発見された上部新洞の、さらに上層に新々洞が存在することを確認しましたが、新々洞への登り口途中にあるチョックストーンを外すことができず、そのときは、そこに入洞することができませんでした。現在、この新洞部分へのケイビングは許可されていないため、新々洞の探検、調査はお預けの状態です。 

 あと、奥多摩地域には、ケイビング対象洞として、奥多摩町の不老鍾乳洞、ちょうちん穴、あきる野市の養沢鍾乳洞、玉の内鍾乳洞などがあります。ちょうちん穴は総延長300mありますが、他の3洞は、いずれも総延長200m以下の洞穴です。玉の内鍾乳洞は一応、縦穴であり、38mの深さがあります。なお、養沢鍾乳洞と玉の内鍾乳洞は入洞禁止の措置が取られています。
 ここまでの話でお気づきかもしれませんが、奥多摩地域の主な洞穴は、ほとんどが入洞することができません。かろうじて青岩鍾乳洞のみ、事前に渉外することで、入洞できるだけです。つまり、奥多摩地域では、ケイバーにとって、実質的にケイビングできる、そこそこの規模の洞穴は青岩鍾乳洞1本だけということです。 

 では、次に埼玉県西部の奥秩父地域にある洞穴を紹介しようと思います。この地域には1000mを超える洞穴が2本、1000mには達しないものの、500mを超える洞穴が1本ありますが、これらの洞穴を紹介する前に一言。
 じつは、20年前なら、この地域には紹介できるような洞穴は1本も存在しませんでした。これから紹介する3本の横穴型石灰洞は、いずれもここ20年以内にPCCの新洞探索によって発見された洞穴です。
 この新洞探索の話を本格的にしだすと、それだけで30分以上の長丁場になってしまいますので、今回は簡単に新洞探索を行うに至った経緯についてのみ話します。
 PCCでは、まず、奥多摩地域で新洞探索を始めましたが、めぼしい石灰岩体にはすでに規模の大きな洞穴が存在しているか、洞穴が確認されていない場所では石灰鉱山の採石場となっていて入山禁止になっていました。というわけで、奥多摩地域での新洞探索は、すぐに行き詰まり状態となってしまいました。そんなとき、明大地底研や埼玉県文化財保護課が出した調査報告書により、奥秩父地域にも小規模ながら石灰洞が存在することを知りました。
 奥秩父と奥多摩とでは、一見、地理的に離れているように思われますが、じつは東京都と埼玉県の境にある雲取山の北面が奥秩父であり、南面が奥多摩であり、地質的には同一の地域であることが地図を見れば一目瞭然です。
 そして、雲取山の南側に1000mを超える石灰洞が4本もあるのに、北側には一番長くても100メートルほどの石灰洞が2本しかないというのは、どう考えてもおかしいという結論に達したわけです。
 さっそく、奥秩父地域で新洞探索を始めたところ、100mクラスの新洞が次から次に見つかり、探索開始から2年後に1000mを超える新洞を発見することができたわけです。さらにその3年後には2000mを超える新洞を見つけることができました。
 というわけで、その2000m級洞穴から紹介したいと思います。 

 豆焼沢・瀧谷洞。
 旧埼玉県秩父郡大滝村──現埼玉県秩父市大滝にあり、洞口は滝川支流豆焼沢左岸標高1380m付近に開口しています。総延長2088m+、高低差153m+の縦横複合型石灰洞です。現時点ではもう少し測量が進んでいて、報告書にはまとめていませんが、総延長は約2250mほど、高低差は165mくらいになっています。未測量部分もまだそれなりに残っており、現在知られている範囲をすべて測量すれば、2500m以上になることは確実です。
 発見は1989年10月です。そのひと月前の9月に埼玉県文化財保護課が発行した『埼玉の鍾乳洞』という調査報告書に記載されていた総延長30mほどの豆焼沢鍾乳洞を調査した際、最奥部の崩落岩塊の隙間より冷気が大量の吹き出しているのを確認し、2度にわたり、ディギングを行いましたが、突破には至りませんでした。
 結局、10月に豆焼沢鍾乳洞の上方100mの場所で、風が吹き込む別の洞口を発見しました。そこをディギングを行いつつ入洞したところ、深さ20m以上ありそうな縦穴を確認しました。そして、さらに1か月後の11月、その縦穴を降下したところ、深さが80m以上の縦穴であることが確認できました。もちろん、関東一深い縦穴でした。
 その後もひと月に1回程度の探検を続け、横穴としても1000mを超える洞穴であることが判明しました。そして、瀧谷洞発見のほぼ1年後──1990年12月、PCCの調査活動を知った大滝村より連絡があり、調査に協力してくれることになりました。
 それにより、洞口までの作業道を整備してもらい、それまで車を降りて3時間以上かかっていたルートが1時間半ほどで行けるようになりました。また、現地に作業小屋を設置してもらったおかげで、3年間にわたり、宿泊場所に困らずに調査することができました。
 大滝村としては将来の観光化を当てにして協力してくれていたわけですが、結局、観光化されず、現在に至っています。しかし、この大滝村の協力により、瀧谷洞の探検能率は飛躍的に向上しました。おかげで総延長は2000m以上となり、豆焼沢鍾乳洞のすぐ真上の標高1300m付近には、ディギングによって第2洞口も開口しました。現在は、縦穴状の第2洞口は埋め戻し、横穴状の第3洞口を開口しています。
 瀧谷洞は、この第3洞口から西北西−東南東の割れ目系に支配され、キャニオンや縦穴状ホールが連続し、水流に沿って高度を上げながら奥へ向かって延びています。瀧谷洞の名称の由来は、ここから来ています。『滝と谷の穴』という意味から瀧谷洞と命名しました。
 キャニオンはチョックストーンや崩落岩塊によって上下に分断されている個所が多く、また、洞穴形成の歴史の中で、かなり水系が移動しているようで、ホールも並列や垂直に並ぶ個所などがあり、洞内は非常に複雑かつ立体的な形状になっています。しかし、主洞部は、ほぼ西北西−東南東方向に延びる幅の狭い帯状の部分に限定されており、それ以外の方向に延びる支洞はほとんど見られません。
 二次生成物は上層部では非常に発達している箇所もありますが、全体としては、それほど多くはありません。ただし、洞内の至る所が水に溶かしたチョーク状の白い物質に覆われていて、真っ白な場所も多々あり、非常に綺麗です。通常、ケイビングして洞外に出ると、つなぎは泥で茶色く汚れますが、瀧谷洞の場合、つなぎは灰色に汚れます。
 そのようなわけで、瀧谷洞は学術的にいろいろと研究の余地のある石灰洞です。トレンチの上に、また別の独立したトレンチが重なるような複雑の構造が、洞内水流のどのような変移によって生み出されたのか? チョークを水で溶かしたような白い物質の正体や粘土状に変化したものとの違い?などなど研究課題は山積みです。
 また、探検的にも技術的に困難な未探検個所が多々残っています。今後の探検しだいで総延長もまだまだ延びる可能性が大です。個人的には、なるべく多くのケイバーに瀧谷洞に入ってもらいたいと思っています。
 ただ、残念なことに、現時点では誰でも気軽に入洞できない状況です。国有林の中にある瀧谷洞は入洞するにあたり、旧秩父営林署──現埼玉森林管理事務所の許可が必要ですが、その許可がPCCにしか下りていません。これまで何回か他の団体にも許可を出せないか渉外しましたが、今のところ、進展はありません。
 ですから、瀧谷洞に入洞したいという方はPCCまで連絡をください。活動予定が合えば、一緒に出かけることができます(2007年4月現在、自己責任の下で活動を行う旨の誓約書と入林申請書類を提出することで、入洞が可能になりました。ただし、森林管理事務所から入洞の許可が降りても洞口扉の鍵がPCCにしか現存していないようなので、鍵の貸し出しについてはPCCに連絡してください)。 

 大ガマタ沢・ケイ谷洞。
 瀧谷洞と同じく、秩父市大滝にあり、洞口は中津川支流大ガマタ沢源流標高1500m付近に開口しています。総延長1041mの横穴型石灰洞です。
 発見は瀧谷洞よりも3年半前の1986年5月です。発見当初の洞口は一辺が15cmほどの三角形をしていました。当然、人間は入洞できません。ですから、洞口をディギングして通り抜けた場所が人の背よりも高い空間だったのには驚きました。さらに奥がずっと続き、2回目のディギングで、いきなり主洞部が大きな通路になったときには、大興奮でした。
 このケイ谷洞は奥秩父で一番最初に発見した1000m級の石灰洞であり、それまで埼玉県には大規模な石灰洞は存在しないとされていた通説を覆した記念すべき洞穴です。また、山岳部の標高1500mという高い場所にも1000m以上の大規模な石灰洞が存在しうる可能性を示した洞穴でもあります。
 主洞部は、洞口から40m弱ほどは北北東に進みますが、それ以降は西北西−東南東の割れ目系に支配され、東南東にほぼ一直線に続きます。ケイ谷洞の総延長は1000m強ですが、ほぼその三分の一の長さに当たる300mの、まっすぐなルートが続きます。
 特に洞の後半部にある『魔のクラック』と命名した通路は石灰洞には見えず、断層洞かと見まがうような場所です。幅は人の肩幅、天井高は10m以上で、床は深さ35mのクラック状縦穴──両側の洞壁は滑らかでツルツルで、確保なしでのチムニーは、まさに無謀行為です。
 基本的に床がない場所が多いケイ谷洞での移動はチムニーの連続です。図面だけで見れば、洞奥まで行って帰ってくるのは、それほど大変に思えませんが、実際は相当に体力を使うことになるので、入洞するにあたっては、計画に十分な余裕を持たせなければなりません。
 じつはケイ谷洞の命名の由来が、ここにあります。ケイ谷洞の『ケイ』の字は──今では失敗したと思っていますが──第二水準にも入っていないため、パソコンなどで表示できません。字としては『火』『火』を二つ並べて、その下に『カンムリ』、そして、『火』です。つまり、『螢』の下が『虫』ではなく、『火』になります。字の意味としては『惑わす』です。つまり、『谷に惑わされる穴』という意味です。
 最奥部は高さ幅とも3mほどの大きな通路が下り斜洞となり、地底湖となって終わっています。実際に洞が終わっているかどうかは未確認です。水中洞として続いている可能性もあります。
 このケイ谷洞にも学術的に見て、おもしろい研究課題がけっこう転がっています。ほとんど全洞にわたる顕著な割れ目系支配の仕組みとか、それと標高1500mという高い位置にあること因果関係とか? 『魔のクラック』の前後の天井が左右で5cmほどスッパリとズレていることや最奥部の斜洞部天井にある結晶質の物質は、いったいなんのか?などなどです。
 さらにもう一つ。ケイ谷洞の割れ目系支配の方向を西北西−東南東だと言いましたが、先ほどの瀧谷洞での洞内状況を説明したときのことを覚えておられるでしょうか? 「西北西−東南東の割れ目系に支配され、キャニオンや縦穴状ホールが連続」していると言いました。
 じつは石灰岩体こそ繋がっていませんが、瀧谷洞の延長線上に、このケイ谷洞が存在し、同じ方向の割れ目系に支配されています。奥秩父の2大石灰洞が、このような位置関係にあるというのは偶然なのでしょうか? それとも必然なのでしょうか? 研究課題としては、なかなかおもいしろいのではないかと思います。
 もちろん、これは研究課題だけではなく、新洞探索の面から見ても、興味深いものです。つまり、この瀧谷洞−ケイ谷洞ラインの上に他にも石灰洞が存在するのではないかという推測です。簡単に結論だけを述べますと、答えは正解でした。
 瀧谷洞の尾根向こうにあたる入沢支流金山沢の大荒川谷と小荒川谷との出合い──標高1380m付近に開口する総延長30mほどの横穴型石灰洞を発見しました。小荒沢谷の水穴と命名したこの洞穴は、大量の水が流出している水穴で最奥部が水没していたため、洞奥に進むことはできませんでしたが、瀧谷洞−ケイ谷洞ライン上に洞穴が存在する可能性を証明しました。
 なお、このケイ谷洞も国有林内にありますが、現時点では特に入洞制限はありません。瀧谷洞を規制しているのにケイ谷洞を規制しないというのも不可解ですが、藪をつついて蛇を出してもまずいので、森林管理事務所に対しては何も言っていません。 

 石舟沢鍾乳洞。
 この洞穴も秩父市大滝にあり、中津川支流石舟沢右岸標高900m付近に開口しています。総延長約700mの横穴型石灰洞です。
 発見は1994年10月です。石舟沢には沢の名前の由来になった、舟の形をした石灰岩の滑滝があります。登山ガイドブックに載っていた、この『石舟』の写真と戦前に書かれた奥秩父に関する文献の中の「石舟沢には昔、贋金を作っていた岩屋がある」の記載を見て、新洞探索に出かけることにしました。
 そして、現地の『石舟』右岸にある石灰岩壁の下の岩場で冷風が吹き出しているのを確認しましたが、洞奥に向かうルートはなく、そのままでは入洞できませんでした。もちろん、即座にディギングです。
 母岩の隙間に詰まっていた、石灰分によって固着したガレ石を排除し、その開口部から奥へ抜けると、ちょっとした小ホールでした。何よりも驚いたのが、激しい水音が聞こえてきたことです。洞外にいるときには気づきませんでしたが、洞内には豊富な地下水流があったのです。
 その水音を頼りに奥に向かうと、さらに水音が激しくなり地下川の先に洞内滝がありました。季節は10月です。寒いとまではいきませんが、だからといって全身ずぶ濡れになるには、それなりの覚悟と滝の上が続いているという確信が必要でした。新洞探索の時はケイビングスーツではなく、ただの綿つなぎですから。
 洞口から滝のホールまでは崩落ホールっぽい感じで続き、滝からはメアンダートレンチの通路が続きます。途中、水深5m以上の泉があり、その奥は迷路状の支洞が広がっています。最奥部は深さ10m以上の、井戸状の泉となっています。
 二次生成物は、そう多くはありませんが、最奥部付近の支洞にコルクの栓抜きのような螺旋状のつらら石がありました。残念ながら、何者かに盗掘されて、今はなくなってしまっています。ケイ谷洞でも斜洞にあった大きな石筍が破壊されていました。こちらの方は故意にではなく、滑って落ちたために蹴り倒してしまったのでしょうが、非常に残念です。
 PCCで発見し、公表した洞穴が汚れたり、二次生成物が、このように破壊されていくのを見ていると、自分たちがやっている新洞探索という行為に疑問を抱くこともあります。新洞探索などをして、その洞穴を見つけださなければ、おそらく、この先も人に知られることもなく、永久に自然のままの状態であり続けられたのにと思うわけです。
 つまり、新洞探索=自然破壊なのではないかと──なんだか、自分たちがとても罪深いことをしているような気がするわけです。といっても、今さらやめることなどできませんけど。新洞に初めて入る魅力を知ってしまいましたから。自分たちにできる限り、新洞穴を荒らさないよう心がけることしかできません。
 話を石舟沢鍾乳洞のことに戻しましょう。
 一般に洞穴というのは静寂という言葉が似合う場所ですが、石舟沢鍾乳洞は地下川の流れ──滝や泉などによって、動的な感じがする洞穴です。また、最初にディギングした岩壁下の第1洞口以外に岩壁上にもディギングによって開けられた第2洞口があり、さらに大洪水によって、沢のガレ石が流され、露出した石灰岩の母岩に第3洞口としての水穴があります。迷路状の洞内と相まって、なかなかよい雰囲気のケイビングを楽しめる洞穴です。
 また、車から徒歩30分ほど距離で、一応作業道もあって、初心者でも行きやすいためか、倉沢鍾乳洞、小袖鍾乳洞などが入洞できなくなった関東では、今、最もケイビングの練習に使われている洞穴です。
 ただ、この石舟沢鍾乳洞は埼玉県の県有林の中にあるため、入洞するには県有林を管理している秩父農林振興センター林業部の許可を取らなければなりません。特に今年から来年にかけて、現地では森林伐採が行われている最中なので、許可の下りるタイミングや、作業道や洞口周辺にある倒木に注意する必要があります。基本的に、当面の間は作業が休みになる日曜日以外の活動は控えるようにした方がいいかもしれません(2007年4月現在、石舟沢周辺への入林が6月末まで禁止されています)。
 ところで、石舟沢鍾乳洞の命名ですが、瀧谷洞やケイ谷洞に比べると、あっさりしていると思われるかもしれませんが、一応、PCC的には決まった命名法則があります。基本的に地名+特徴としています。大蛇倉沢のコウモリ穴ならば、『大蛇倉沢にあるコウモリが生息している穴』ということですし、石舟沢鍾乳洞ならば『石舟沢にある鍾乳洞』ということです。さらに1000mを超える洞穴の場合は、○○洞とします。○○の部分は、その洞穴の特徴です。そして、正式名には地名を頭に付けます。ですから、瀧谷洞は豆焼沢・瀧谷洞が、ケイ谷洞は大ガマタ沢・ケイ谷洞が正式名称となります。 

 これらの3洞以外に、奥秩父にはケイビング対象洞として、200m以下の藤十郎沢鍾乳洞、仏石山鍾乳洞、大血川新洞、荒沢谷鍾乳洞、横岩沢の水穴などがあります。
 また、縦穴として、向かい谷新洞と高岩洞があります。深さは、それぞれ46mと43mです。全国的に見れば、大した縦穴ではありませんが、関東では有数の縦穴であり、洞口から20m以上ストンと落ちているので、洞穴の形状的にはSRTの訓練向きの縦穴です。ただ、どちらも車を降りてから遠い──向かい谷鍾乳洞で1時間半、高岩洞で2時間以上かかり、縦穴装備のギア類を持っていくのが大変なため、SRT訓練には利用されていません。
 あと、奥秩父ではありませんが、比企郡小川町に埼玉県の天然記念物に指定されている古寺鍾乳洞があります。先に紹介した3洞穴を発見するまでは埼玉県下で最長を誇った総延長220mの横穴型石灰洞です。しかし、現時点では地主によって入洞禁止の措置が取られているため、探検、調査とも行うことはできません。 

 さて、次は群馬県西部の奥多野・西上州地域にある洞穴です。この地域には1000mを超える洞穴が、たぶん2本あります。ちなみに、現在、PCCがメインで新洞探索を行っているのも、この地域です。 

 不二洞。
 群馬県多野郡上野村三和にあり、洞口は滝ノ沢左岸標高800m付近に開口しています。総延長ははっきりしません。上野村の公式な報告書では約2200mの横穴型石灰洞ということになっていますが、400mほどしかないというデータもあります。測量図面を見た感じでは、確かに2000m以上ある洞穴には見えません。しかし、1000m以下だという確たる根拠もないので、一応、1000mを超える洞穴に分類しておきます。
 1965年に群馬県の天然記念物に指定されていて、照明や通路を整備した観光洞として一般に公開されています。昔は洞口から入洞して洞口に戻るという周遊コースでしたが、現在は洞内にある深さ35mの縦穴最下部へ繋がる120mのトンネルがあり、そこから入洞して洞口から出洞するという周遊コースになっています。また、洞内の土砂を大量に搬出して、すぐ隣にあった空穴とも繋いで、観光ルートの一部にしています。
 不二洞の歴史も奥多摩地域の日原鍾乳洞や倉沢鍾乳洞同様、非常に古く、1200年前の平安時代初期から知られていたようです。山の中で野猿が集まって騒いでいるのを村の猟師が不思議に思い、近づいてみたところ、洞口を発見したとのことです。それで、最初は、庚申(猿)の穴と名づけられたそうです。
 約800年前には洞穴のある場所が大福寿山であることから、大福寿穴と呼ばれるようになりました。そして、約400年前、川和村の藤原山吉祥寺の初代住職である中興開山上人が洞内の探検に初めて成功し、修行の場として、世に広めたそうです。
 約200年前の江戸時代、この地が天災や疫病に見舞われたとき、6代目住職の悦巌上人が疫病を鎮めようと、天台宗の経文を洞内の地中深く沈めたところ、二度と大きな災害が起こらなくなったことから、不二洞と改められたとのことです。
 その後、悦巌上人は門弟たちの前から姿を消しまったそうですが、1962年に地元青年たちによって洞内が探検されたとき、35mの縦穴も探検され、その底から続く横穴で人骨が発見されました。人骨の年代から悦巌上人ではないかと思われているそうです。
 洞内は迷路状に入り組んでいて、観光洞以外の支洞もいくつかあります。これらの支洞でケイビングすることも事前に許可を取っておけば可能なようですが、できるのは平日に限られるようです。渉外の連絡先は上野村川和自然公園です。
 二次生成物はそこそこありますが、昔から松明を灯して人が入洞していたり、土砂で埋まっていた場所から、それを搬出して観光ルートにしたりしているため、洞壁や天井の色はあまり綺麗ではありません。ただ、観光ルートではない支洞でディギングをすると、新支洞が見つかる可能性はあります。実際、空穴には、土砂を排出時に開口した縦穴があります。 

 大倉鍾乳洞。
 群馬県甘楽郡南牧村大倉にあり、桧沢川右岸標高650mに開口しています。総延長約1000mの横穴型石灰洞です。
 この洞穴については、あまり情報を持っていません。入洞するにあたり許可が必要であることは確認していますが、現時点で入洞が許可されるのかどうか把握していません。
 PCC的には、この大倉鍾乳洞の1000mという存在をよりどころに、現在、奥多野、西上州地域で新洞探索を行っているところです。この地域に1000mクラスの洞穴が1本でも存在するのならば、他にもある可能性はあるだろうという考え方です。 

 あと、奥多野・西上州地域には、ケイビング対象洞として、多野郡神流町の荒神穴、下穴、ちゃんから穴、立処鍾乳洞、上野村の生犬穴、矢弓沢洞などがありますが、いずれも総延長500m以下の洞穴です。さらに、これらのうち、ちゃんから穴への入洞には地主の許可が必要です。生犬穴への入洞には上野村教育委員会の許可が必要です。
 また、矢弓沢洞については、2006年の7月、地主によって入洞禁止の措置が取られています。ただし、この入洞禁止の措置は、事故防止と事故時の補償問題の観点からなされたもので、ケイビング団体が事前に地主から管理を委託されている管理人の方に連絡を取って、ケイビングの活動実績を説明し、自己責任のもとに入洞すると約束すれば、入洞を許可されます(2007年4月現在、去年まで矢弓沢洞を管理されていた方が亡くなり、入洞条件が若干変更になりました。詳細を知りたい方はPCCに連絡ください)。 

 以上が、関東西部に分布する主な洞穴です。
 関東には、これら以外に、北茨城地域に大久保の風穴という、関東ケイバーに人気の洞穴があります。総延長は500m未満ですが、洞内に縦穴があり、SRTの訓練などに利用できます。また、そこそこの水流があり、夏の季節に入洞するには、なかなかよい洞穴です。さらに、この洞穴が他の洞穴よりも秀でてる点は、洞口のすぐ前まで車で行けるということです。これは本当に大きなメリットです。
 また、北茨城地域にはケイビング対象洞として、諏訪の水穴、花園鍾乳洞などがありますが、どちらも200m未満です。
 あと、栃木県佐野市の旧葛生町周辺には吉沢石灰の穴という500m弱の横穴型石灰洞、高実子の竪穴や満願寺北の竪穴などの深さが50m以上あると思われる縦穴型石灰洞がありますが、入洞していないため、詳細は不明です。また、200m未満のケイビング対象洞も複数本存在しますが、水木鍾乳洞、満願寺周辺の洞穴群以外は入洞していないため、やはり詳細は不明です。
 この地域は、最初にも話したとおり、比較的規模の大きな石灰岩体が分布しており、カルスト台地状の地形が存在するため、それなりの規模の洞穴があってもおかしくない場所ですが、現時点では大規模な洞穴は未発見です。関東における、今後の新洞探索の有力な候補地ではないかとも思われますが、石灰岩鉱山の採石場の数も多いため、実際にどれだけの範囲を探索できるかは未知数です。
 それと最後に熔岩洞を1本。
 八丈島にある八丈風穴です。総延長は1404m。熔岩洞は自分の守備範囲外なので、詳細は不明です。基本的には入洞禁止になっているようですが、ケイバーも入ることができないのかどうかは把握していません。
 なお、富士山麓にある熔岩洞の三ッ池穴は総延長が2202mありますが、静岡県にあるため、関東の洞穴には入れていません。 

 ざっとですが、以上が関東の洞穴についての紹介です。自分の活動範囲などもあって、地域的にやや偏った紹介になった点もあると思いますが、大まかなところでは、このような感じだと思います。関東以外の方が関東の洞穴にケイビングする際、少しでも参考にしていただければ幸いです。
 最後までご静聴いただき、ありがとうございました。また、今、お話しした中には、もしかしたら思い違いなどもあるかもしれません。それらについては、ご教授いただければ幸いです。
 最後に、このような、あまり学術的とは言い難い講演内容にもかかわらず、講演の機会を与えてくださいました洞窟大会実行委員会の方々に対して、お礼を申し上げます。

 

『PCC資料室』に戻る