アイスランドプレ巡検記


 
はじめに

 2002年9月に開催されるアイスランドでの第10回国際火山洞窟学会に備えて、事前にアイスランドの概要を把握しておこうと、2002年9月3日(火)〜9月9日(月)まで相棒と2人でプレ巡検(アイスランド半周)を行った。本編はその巡検記である。

 

9月3日(火)晴れ

 日本ではまだ残暑が厳しい。着替えを機内持ちこみ用のザックにつめた。今回はアイスランドとスロベニアを回る予定なので、外貨はすべてどこでも通用する米ドルで用意した。
 成田の荷物検査で旅行セットに入っていたハサミとナイフが、規定寸法以上とのことで取られてしまった。「これは今後も使うので日本に帰ってきたら返して欲しい」と頼んだら、「利用する航空会社にあずけておく」とのことだった。
 10:00発のルフトハンザで出発。快晴なので下界も良く見える。しかしシベリア上空は一面の雲に覆われて何も見えない。フィンランド付近で雲が切れて下界が見えてきた。細長い短冊型の雲と湖沼群の組合せがきれいだった。スエーデンとデンマークの間の海は小さな島々が多く、縮尺の大きな地図では、陸と海の境をどこに引くか難しいだろうなと思った。
 14:30にフランクフルトに着いた。早速タバコを吸う。パリ行きの乗り継ぎ便の乗り場を探した。大きな飛行場なので係員は自転車で走りまわっている。あちこちで係員らしき人に聞きながら進んだ。どうやらシャトル電車に乗って別のターミナルに行かなければならないようだ。やっとパリ行きの出発ゲートにたどり着いた。
 16:20発のルフトハンザ航空パリ行きに乗り、17:30にパリドゴール空港についた。乗り継ぎの案内に従って円いターミナルビルを上下し、別のターミナルビルに行ったが英国ミッドランド航空のカウンターが見当たらない。たまたまルフトハンザのカウンターがあったので聞いたら、自社で発行した切符だけあって丁寧に教えてくれた。何とかミッドランド航空のカウンターにたどり着きチェックインできた。
 本来ならパリ発23:50のアイスランド航空に乗り継ぐ予定だったが運休となったので、急遽ロンドン回りで行くことになったためだ。本来ならパリで6時間の乗り継ぎ時間があったので、パリにいる娘と会う予定をしていたのだが会えなくなってしまった。娘の携帯に電話しようとしたが、カード式の電話機しかなく、コインでは掛けられなかった。
 18:55発の英国ミッドランド航空に乗り、ロンドン・ヒースロー空港には19:00についた。
 コイン式の公衆電話があったのでコインを入れたら、みなカランと落ちてくる。待合室で近くの人に「なぜだ」と聞いたら、「それはユーロだ、イギリスはペンスでないとだめだ」と教えてくれた。電話1回のために100ドルも両替するのは馬鹿馬鹿しいので諦めかけたら、斜め前に座っていた女性学者(読んでいたペーパーが地質学関係のものだったから)が、持っているペンスと当方のユーロを交換してくれた。それでやっと娘に電話することができた。娘も心配していたらしい。家にも伝言をたのんだ。
 乗り継ぎ手続のためアイスランド航空のカウンターを探したが見つからなかった。しかたがないので、大きそうな航空会社のカウンターに行き聞いたら「○○航空に行ってみたら」とのこと、そこへ行って聞くと「××航空へ行ったみたら」とのこと。4回空振りして、やっとアイスランド航空の代理業務をしていると言う航空会社にたどり着いた。聞いたことのない会社だった。そこでやっと搭乗手続ができた。
 トイレで防寒用の衣服に着替えた。アイスランド航空は21:00発なので夕食は出ないだろうと思い、出発ロビーのスナックで夕食。ついでにタバコを買ったらマルボロの10本入りが5ユーロ(600円)もしたのでビックリ。英国ではそんなにタバコが高いのかね。
 アイスランド航空に乗ったら夕食が出た。なんだこれなら空港で食べなければよかった。スチュアーデスはバイキングの肝っ玉母さんという感じの女丈夫だった。外は何も見えないので機内で上映しているビデオを見ていた。ちょうどアイスランドのF道路を車でまわる映画だったので気合を入れて見た。車で渡河するときは、できるだけスピードをつけて一気に渡ること(水圧に負けないため)、ぬかるみにタイヤを取られたときのためにスコップを積んでおくことなど参考になった。
 アイスランドの国際空港(ケプラビーク)には23:30ごろついた。空港のターミナルビルの内装は木製で落ち着いた感じだった。1000ドルをアイスランドクローネに両替してから、首都レイキャビク行きのリムジンバスに乗った。外に出ると雨模様でさすがに寒い。バスは24:00ごろ出発。
 50分ほどでレイキャビクにつき各ホテルに客を下ろしながら、当方の泊まるホテルキャビンには1:00ごろ着いた。フロントで名乗ったら、先発で来ていた相棒から「ついたら部屋に電話をくれ」というメッセージが入っていた。部屋に落ち着いてから電話を入れ、明日の集合時間と場所を打ち合わせた。寝たのは2:30ぐらいになっていた。

 

9月4日(水)雨

 レストランで相棒と一緒に食事し、6:30にタクシーでレイキャビクの国内空港へ。大学時代の同級生なので阿吽(あうん)の呼吸で気が合う。7:30発のアークレイリ行きに乗った。60人乗りぐらいの双発機で翼は機体の上についていた。これならどこに座っても外が見える。しかし、あいにくの雨で期待していた氷河は見られなかった。
 8:15にアークレイリに着いた。アークレイリはアイスランド北岸では一番大きな町だが人口は5000人とのこと。飛行機から客が降りてきた時だけ各レンタカー会社の窓口があき、5分ほどで閉まってしまった。
 レンタカーはハーツに予約してあり、「車を空港にまわして出迎える」という約束になっていたので、空港の出口で待っていたが一向にその気配がない。5〜6分歩いたところにハーツの事務所が見えるのでそこに行って見たら、「9:00に出迎え」と連絡を受けていたとのこと。予約していたスズキの4駆ジープがなかったので、同程度のトヨタの4駆を借りることにした。
 大きな荷物を積んで9:20に出発。3km先にあるアークレイリのガソリンスタンドでガソリンを満タンにし、ついでにスコップとガスボンベ(ガスバーナー用)を買った。プリムスの返事ではアイスランドではシェルのガソリンスタンドで売っているということだったが、エッソのスタンドで売っていたガスボンベでもイワタニプリムスのバーナーと口径が一致した。その場で着火テストもしてみたがOKなのでそれを買うことにした。
 まず、R1を東へミーバトン湖に向かう。舗装された2車線の道で対向車はほとんどない。相棒の弁によると、運転席が左なのでレバーが右手となり、感を掴むまでは慎重運転で行くとのこと。
 ゴーザフォスの滝は平地に水煙が上がっているという感じのつまらない滝だった。左右の山は表面を磨かれた溶岩流で覆われていた。溶岩が流れた後、氷河で削られたのだろうと思っていたが、後に違うことが分かった。
 約80km走り、ミーバトン湖の流出口に到着。途中、この雨の中を徒歩で旅行しているトレッカーもいた。我々の車が追いぬいても特にヒッチハイクする気配は見られない。彼らの体力・精神力に驚く。この付近は一面の溶岩流で覆われ、カルメ焼きのようにひび割れた小山が続いていた。溶岩流の表面は苔に覆われ、濃い緑色の絨毯のようだ。ひび割れた小山はシュルンドームと言い、溶岩の表面だけが固まった段階で、内部からガス圧により押し上げれたものだという。
 ところどころに表面が落ち込んで窪地のようになった谷が続いていた。その部分は溶岩洞になっていた部分であろう。その窪地に降りてみたら、窪地の始まり部分にやはり溶岩洞があった。平べったい天井の低い溶岩洞だった。
 いくつかわき道に入ってみたが、牧場の入り口はみな10cm間隔で鉄のパイプを渡し、その下を浅く掘ってあった。あとで分かった事だが、これはキャトルグリッド(cattle grid)と言って、羊が逃げ出さないための装置なのだそうだ。これなら自動車や人間は通れるが、羊は足を落としてしまい通れない。うまく考えたものだ。この装置がついていないところはまだ扉が残っているとのこと。
 11:50にミーバトン湖のプセドウに到着。プセドウは1回の爆発で出来た小クレータ群が湖の脇に折り重なっている。しかもそのクレータがほとんど侵食や破壊もうけずに残っている。このような地形は珍しい。傘をさしてクレータ群の間を散策した。
プセドウの航空写真(写真1) プセドウの前にレストランがあったので昼食。バイキング形式の食事しか受けつけていなかった。どこかの団体客に混ざって食事。年寄りが多かった。我々の姿がツナギで異様なため、「あんたたちは何しに来たのか」と聞かれてしまった。レストランの壁にプセドウの航空写真(写真1)が張ってあったので全体の地形が良く分かる。写真に収めた。レストランの裏庭にまわってみたら、まるで庭の築山のように小型のクレータが2〜3個噴き出していた。
 次にディムボルギルという溶岩迷路へ。途中、仙台の松島のように、入り江に溶岩の小島が散在しているところもあった。ディムボルギルはR1から車で5分ほど入ったところにある。13:10に着いた。看板がありその成因を説明してある。英語は不充分でも図をみると何となく想像がつく。
 流出した大量の溶岩がこの低湿地帯にたまり、地中の水分が熱せられて水蒸気となって噴出したため、その水蒸気の通り道となった周辺の溶岩が固まった後に、まだ固まっていない溶岩が流れ去ったので、ニョキヨキと溶岩の尖塔のようなものが残ったのだそうだ。高いものは10mぐらいあり、実に様々な格好をしていた。遊歩道を巡ると、窓になったもの、ひび割れパンのようになったもの、小さな溶岩洞をもっているものなどが次々と現れた。
 浅間山にも鬼押し出しというこれに似た地形があるが、成因はまったく違う。とにかくアイスランドの溶岩は日本の溶岩に比べて各段に粘性が低いようだ。
 次にグロウタギャウ(ギャウ:地球の裂け目。マントル対流が地表に到達して左右に分かれたところに出来る裂け目)に向かったが、道標に従って右に入ったら、牧場の扉が閉まっていて通れない。「なんだこれなら道標なんか出すなよ」とブツブツ言いながらR1に引き返し、大きく迂回して、裏側から入る道を進んだ。この道はずっとグロウタギャウに沿っているので、ギャウから温泉の湯気が立ち上っているのがあちこちに見られた。14:30にグロウタギャウの洞窟温泉のあるところについた。
温泉が湧いている洞窟への入口(写真2) 溶岩流の高さは10mほど。その端が南北に割れたギャウになっている。ギャウの下に温泉が湧いている洞窟がある。洞窟への入口(写真2)は30mほど離れて2つあいていた。腰をかがめて入りチョット下ると、長さ20m幅4mほどの湯だまりがあった。湯は上流(右手)から流れて込んでいた。手を入れてみたらかなり熱い湯だ。若干白濁し、やや硫黄の臭いが漂っていた。
 入るにはやや熱過ぎるが、温泉キチガイとしては我慢してでも入り、記録写真を残さなければならない。相棒に撮影を頼むと、早速裸になり湯船にそっと入った。かなり熱い。中央付近は背が立たないほど深い。端っこの背が立つところで、さも気持ち良さそうなポーズをする。しばらく入っていると手足がしびれてきた。丁度、那須鹿の湯の一番熱い湯船と同じ感じだ。48℃ぐらいなのだろう。たまたま来合せた外国人も、「オー」と言って写真をとっていた。
 グロウタギャウで楽しんだ後、マウナカルスの地熱地帯を見に行くことにした。16:00にその地熱地帯に着いたが、日本の地獄のほうがよっぽどましだ。大したことなし。マウナカルスなら他にも地熱地帯があるだろうと、国道から離れて、適当にマウナカルスの山中についている自動車道を登ったら、折からの雨でやらかくなった火山灰道路の泥濘がひどく、ハンドルも取られて思うように進めなくなった。
 しまった、脱出できるだろうか。一時は、「これはSOSかも」と本気で思いこむ状態になったが、帰りは下りが多かったため何とか脱出できた。車が45度もあらぬ方向を向いて斜面を下る時もあった。雨の泥道はアンタッチャブルだ。
 レイキャフリーズには17:20についたが、まだ十分明るいのでミーバトン湖の東岸を一回りした。湖が川となって流れ出しているところには水鳥が一杯いた。その岸辺で靴についた泥を洗い落とした。
 ホテルには18:00に入った。本日の走行キロ合計は171km。
 ホテルのレストランで食事したが、田舎の割に高かった。当方は日本を出てからほとんど寝ていないので、デザートをとりながらコックリしていたそうだ。この夜は前後不覚で寝た。

 

9月5日(木)曇りのち雨

 今日はアスキャに挑戦する日だ。朝食が遅いのと、出発準備に手間取り9:30にホテルを出発。念のため近くのGSで満タンにした。セルフサービスなので使い方が分からず一苦労した。
 R1を東に快調に飛ばす。前後に車は見えない。国道の拡幅工事をやっていたが、拡幅した別線を作るという方式だった。土地はいくらでもあるのだから、片側交通で色々な対策をとるよりその方が安上がりなのだろう。国道に沿って溶岩流の上を一直線に結ぶケルンが延々と積んであった。なんのためのケルンなのだろう。
 いよいよアスキャ入口についた。アスキャはアイスランドの一番内陸部にある直径10kmほどのカルデラで、アメリカのアポロ計画の際、月面着陸や歩行の訓練に使ったところだそうである。それほど月面に条件が似ているところらしい。しかもその火口湖は温泉とのこと。世界一大きな露天風呂に入るべく、難コースに挑戦しようという訳だ。
 10:15、アスキャ入口にあるフロッサボルグという半分こわれかかったクレータを出発。F88を南に向かう。F道路とは山岳道路を意味し、未舗装であることはもちろん、原則として川に橋がない。川にぶちあたったら車で渡河しなければならない。
 低く垂れ込めた雲の中にこれから向かう山々が連なっている。初めのうちは道路面も平坦で快調に飛ばせる。両側は一面、表面が滑らかで平らな溶岩流が覆っている。草木は1本もない。苔が所々生えているだけ。まるで死の世界だ。前後に続く車は見当たらない。ここは仲間が欲しいのだが。
 前方に小屋の形をしたコンテナのようなものが見えてきた。その付近の道路にはばら撒いたばかりの土砂(かなり大きな石ころも混じっている)があり、車の腹にその大石がゴツン・ゴツンとあたる。えらく運転しづらい。少し進むとダンプカーが土砂を蒔いていた。F道路の手入れなんだろうが、今日やっているとは運が悪い。
 11:45に最初の渡河地点に到着。入口から40kmの地点。長靴を履いて深さを測る。これ以上深かったら渡河は無理だという目安の線(40cm)を軽く越えてしまった。最初の渡河点はなんとかクリアできるだろうという予測は無残にも崩れた。雨で増水しているらしい。
 未練がましくその付近の川を調べたが、他に渡河出来そうなところはない。11:55、あきらめて引き返した。少し戻ったところでゴツイジープが登ってきた。これなら間違いなく渡れるほど腰が高く、車輪もでかかった。あれに引っ張ってもらおうかと一瞬考えたが、帰りも同一コースかどうか分からない。後ろを振り返りつつ元来た道を引き返した。
 アスキャ入口の半分壊れたクレータに車ごと入ってみた。砂地なので道がないところでも走れた。クレータの縁に登って見たら何層にも火砕流が積もったらしい。しかしクレータを構成している岩石はまだ石化しておらず、硬い砂のままだった。火口を見下ろすと、まん丸の原っぱが緑の苔に覆われ、馬鹿でかい野球場のようだった。13:50にクレータに別れを告げて出発。
 時間があまってしまったので、明日に予定をしていたデティフォスの滝のかかる渓谷を往復することにした。昼飯をとるため地図でキャンプ地と書いてあったところにいったら、農家が2〜3軒あるだけ。雨も強くなってきた。「どこか食べられる所はないか」聞くために農家に声をかけたら、おばさんが奥から日本人を呼んで来たのにはビックリした。
 聞いてみると、オーロラ観測に来た極地研の佐藤さんとのこと。向うもビックリしたそうだ。一緒にケイビングしたことのある舟木さんも極地研なので聞いてみたら、知っているとのこと。この付近に飯を食えるところはないそうだ。まさか飯を食わせてくれとも言えないので、昼飯抜きでデティフォスの滝に向かった。
 R864を一路北に走る。F道路ではないが未舗装で結構凸凹している。渓谷沿いと言ってもだだっ広い平原をゆくのと同じ。地図の等高線をたよりに地形を読み、現在地を推定する。14:30にデティフォスの滝の東側展望台についた。強い雨風。滝の付近から白い水煙が上がり、その下流は両岸垂直な峡谷となっていた。その峡谷の更に下流は両岸とも水平な地層面(溶岩面)が現れた階段状の斜面になっていた。まるで(ミニ)グランドキャニオンのようだ。
滝の落ち口(写真3) 雨具を着て滝の落ち口まで降りた(写真3)。日本のように立入禁止の柵などない。「危険は個人の責任で行動されたし」ということなのだろう。滝の高さは60mぐらいだが、ヨーロッパ最大の水量を誇ると言うだけあって、ものすごい迫力だ。氷河から流れ出す川なので水は濁っている。滝の反対側の西側斜面にもカラフルなアノラックを着た見物客が何人かいた。
 じっくり楽しんで、15:20にデティフォスの滝を出発。高原を緩やかに下って行くと、ようやく北の海岸沿いを走るR85が見えてきた。デティフォスの滝があるヨークルス川にかかる白い釣橋が美しい。その外側は延々と氷河の堆積物が続き、海はかすんで見えない。釣橋のたもとにGS兼食堂があったので遅い昼飯をとった。16:00だった。
 腹ごしらえしたあと、アウスビルギルという火口を持った溶岩台地を尋ねた。ここは溶岩台地の大半が水に流され、残っているのは、入口付近の一部の台地と火口のうしろ半分の壁だけ。入口付近の大地は両側が垂直に切り立ち頂上が平らなので、まるで南米のギアナ高地のようだ。
 奥に進むと火口湖を取り囲んで半円形に高さ150mほどの絶壁がそびえていた。その頂きから細い滝が落ちていたが、下に届く前に風に吹き飛ばされてなくなっていた。火口湖で声を上げると何時までもエコーが響くというのでやってみたら、本当にいつまでもこだましていた。火口湖の水は澄んでいた。地面からは飛びたてないカモメのような鳥が沢山いた。人が近付くと不恰好に地面を転げながら逃げていた。
 そこを17:00に出発。こんどはミニグランドキャニオンの西側を走るF862を登り返してR1へ。道はかなり悪かった。凸凹も多く、雨の後なので水溜りが多い。車は全身泥だらけ。運転している相棒の言によると、道路面が削られて周囲の土地の方が高いので道路脇に寄るのが怖いという。レンタカーなので傷をつけたくないからだそうだ。いつも運転しているスズキのジープより車幅が広いので、よけい怖いそうだ。
 道路脇にどこから来たのか雨に打たれながら、はぐれ羊がいた。付近に牧場らしきものは見えない。でも本羊は平気な顔をして悠然と草を食んでいた。
 途中、ロンリープラネットというガイドブックによると「溜め息が出るほど美しい眺めだ」というところに寄り道してみたが、どうということはなかった。もう薄暗くなりかけてきた。約60km走って19:40にようやくR1に出た。もう暗くなっていた。
 R1を一目散に走ってレイキャフィールズに戻ったが、夕食代を節約するためプセドウのキャンプ地にあった休憩所で自炊することにした。20:10にプセドウにつき、休憩所のテラスでガスバーナを使ってお湯を沸かしたが、風が強く火が消えてしまい料理が出来なかった。しかたないのでレイキャネスのGSで食料品を買い、ホテルで食べた。ホテルの部屋には湯沸しポットがなかったので暖かいものは食べられなかった。なんとなく侘しい。本日の走行キロは294km。

 

9月6日(金)雨のち晴れ

 レイキャフリーズを8:45に出発。R1から北にそれて9:10にクラプラ到着。ここはつい最近も割れ目噴火を起こした火山地帯だ。地熱発電所の脇を通り展望台に上がると、あちこちから長いパイプラインで発電所に蒸気を集めている様子が一望できた。その少し先にあるビティという青い水を蓄えたクレータを見学。すぐ下まで車で行けるので歩くところはほとんどない。赤いクレータと青い水のコントラストが美しい。
 次に、1984年の溶岩流を歩こうとその入口の駐車場まで行ったが雨が強くなったのでやめた。蒸気を汲み上げているクラプラ山に車で登った。あちこちに集気孔が掘られていた。その数は10個を下らない。発電所からの温排水が川となって流れ出ていた。手を入れてみると程よい温泉になっていた。でも風雨が強く、服を脱ぐと凍えそうだったので入るのはあきらめた。
 R1にもどり一路、東岸のエイイルスタジールを目指して先を急ぐ。デティフォスの滝への道路が分かれる辺りから薄日がさしてきた。しばらく行くとR1も未舗装になってしまった。対向車とすれ違っても雨の後なのでホコリはさしてかぶらない。
 南にR901を分けるところに来た。どちらを行っても同じ場所に出るのでR901を通ってみることにした。道路のまわりには人工構造物は全く見当たらない。まさに内陸の人跡未踏の地という感じ。そんな道を20kmも走ったら、農家が2〜3軒ある大きな牧場があった。ここは確実に片道30km圏内に他の家はない。よくもまあこんな所に住む気になったものだと感心する。
 牧場には沢山の羊とそれを番する犬がいた。われわれの車が止まったら犬が案内するかのように近寄ってきた。犬も人恋しいのだろう。犬が案内しようとした先にはミルクハウスのような看板が出ていた。こんな辺鄙なところでは客は何日に1人という程度だろう。多分、店に客が入ってから準備をするのではないか。
 我々も先を急ぐのでミルクハウスは割愛。更に進み、峠を登りきったところに小さな避難小屋があった。今日はここで昼食を作ることにした。小屋の中なので風は当たらず、ガスバーナも良く燃えた。即席ラーメンと餅を焼いて食べた。避難小屋の中は三畳ほどで、1人分のベッドと寝袋と、太陽電池利用の無線機と、なべ釜が用意してあった。聖書も置いてあったのはビックリした。さすが西洋の避難小屋だ。
 峠を越えると池塘が広がり1本の草木もない禿山が果てしなく続いていた。まさにチベットの景色だ。そんな景色がR1と合流するまで延々と続いた。合流したところから細長いフィヨルドが見下ろせた。そこに始めて人家が見えたときにはホットした感じだった。アイスランドのフィヨルドは両岸とも傾斜はゆったりしている。まるで草原が波を打っているようだ。そのゆったりした斜面を細く深く削って、滝が幾筋も流れ落ちていた。その後、東海岸・南海岸を旅して、これがアイスランドの典型的な景色であることが分かった。
 エイイルスタジールに15:30に着いた。ホテルにチェックインしてから、近くのラガールフリョウトというフィヨルドを車で回った。奥行50kmあるので両岸を回ると100kmになる。フィヨルドを囲む山々の地層を見ると海(東)に向いて地層が上昇している。どうしてだろう。常識的に考えれば、火山が内陸中央で噴出するのだから、地層は海に向いて下降するはずだが。
 後で火山洞窟学会のとき地元の地質学者に聞いたら、最初は地層も水平だったが、内陸部に噴出した火山堆積物が大量になり、その重みで中央部が沈下したため周辺部が上昇したのだそうだ。
 フィヨルドの周囲の山肌にはいくつか大きな滝があった。滝そのものは単品でも見ごたえのあるものだったが、全体として何のパンチもないフィヨルドだった。羊が自動車道路を我が物顔で歩いているのは壮観だった。でも車で近づくと蜘蛛の子を散らすように逃げて行った。
 一旦エイイルスタジールに戻ったが、そのまま東海岸の町に抜ける山越えの道を登った。今晩はその峠にある避難小屋で自炊。18:30に着いた。メニューは暖めるだけで食べられるご飯とカレー。それでは少々不足だったので、混ぜ御飯と餅。ここの避難小屋は広かったので作業しやすかった。20:10に非難小屋を出て20:25にホテルヘラルド着。あとは風呂と寝るだけ。本日の走行キロ315km。

 

9月7日(土)晴れ

 今日は始めての快晴。ホテルを8:00に出発。R1で一路南を目指す。もう初雪が降ったのか、沿道の山は上のほうが真っ白。途中、右手の川に小さなダム式発電所が見えた。アイスランドは地熱発電だけかと思っていたが水力もあるようだ。
対岸の山が鏡のように映っていた湖(写真4) 対岸の農家の後ろに広がる牧草地がきれいで思わずシャッターを押した。そのチョッ先の細長い湖に対岸の山が鏡のように映っていた(写真4)。全く波がないのだ。早速、鏡面湖と名付けた。その鏡面湖をバックに記念撮影。黄色く色づいた枯れ草の斜面と空の青さが素晴らしかった。
 10:35にブレイダルス峠についた。パーと南岸の斜面が開けた。川が大きく蛇行しながら平野を流れ、左手の山は優雅な曲線を描いて平野まで続いていた。右手は青い空を映した池塘があり、その向うに氷河が広がっていた。素晴らしいながめだ。ウットリと見入ってしまった。
山脈を構成する大きな地層(写真5) そこからいろは坂のような道を海岸の村ブレイダルスビークに下る。右手の山は頂上に、硬い溶岩の壁と尖塔が乗り城砦のようだ。その下はまだ浸食を受けていない滑らかな山肌が麓まで続いていた。その山肌を深く刻んで川が数条落ちていた。侵食の輪廻を教える典型的な地形だ。理科の教科書に載せたい。その山脈を構成する大きな地層も海(東)に向かって上昇していた(写真5)。
階段状になった滝(写真6) ここからはいよいよ南岸の海岸線沿いに行く。フィヨルドを1つ1つ出入りして行くので以外と距離がある。しかし日が当たり、青い海も見えるので、非常に明るい雰囲気だ。溶岩台地が道のすぐ傍にそびえ、そこから階段状になった滝があちこちから落ちている。特に7の滝(写真6)は圧巻だった。高さは合計150mぐらいあるだろう。その滝の階段の1つ1つが溶岩層の厚さに相当するはずだ。かなり厚い溶岩流である。農家の裏山から形の良い滝が落ちていた。虹までかかり一幅の絵になる。
 道路のすぐ脇の山肌が崩落して砂礫の急斜面となっている所が増えてきた。そんなところでも擁壁はない。「ここで落石の直撃を受けたらたまらないね」と話ながら、足早に走りぬける。山側にも海側にも形のよい岩山が次々と現れ目を楽しませてくれる。長い橋を渡るところでは、川が勝手気ままに網の目のように流れていた。氷河から大量の土砂が流れ下ってくるので堤防など作っても、すぐ満杯になってしまうのであろう。
 沖合いに長い砂洲が続いている。地図で見ると25km〜50kmぐらいのものが、入り江ごとに出来あがっている。氷河から押し出した土砂が海の波におし戻されて出来あがったようだ。遠くに見えていたバトナ氷河の氷帽子がだんだんと近くなった。
 今日は天気も良く風も穏やかなので外で自炊することにした。ミリ付近の道路脇の草原でガスバーナーを使ってラーメンと赤飯。食後に草原で横になった。鳥が珍しそうに近くまで覗きに来た。
 80km近い砂洲があるホフンを見下ろす峠、アルマンナカルズ峠には14:40に着いた。大きな平原の先にバトナ氷河が横たわり、数ヶ所で平原まで氷河の舌端が伸びている。地図で見るとまだ100km以上ある。気を取りなおして先を急ぐ。夕方遅くなると氷河湖の遊覧船が終わってしまうからだ。
ヨークルスアゥルロゥンという氷河湖(写真7) R1をせっせと飛ばしてヨークルスアゥルロゥンという氷河湖(写真7)に16:10についた。幸いまだ遊覧船が走っていた。車輪つきの水陸両用艇だった。陸上の桟橋でお客を乗せると、湖まで走ってそのまま水につっこむという具合だった。氷山の間を縫って湖を1周する。もっと氷河の末端まで近寄ってもらいたかったのだがそこまでは行かなかった。氷山は青いの白いの、尖ったの平べったいのが色々あった。どれも一部は黒い土砂で汚れている。氷河から分離したのだからしょうがないだろう。あざらしも泳いでいた。
 氷河湖の水が海に注ぐ所では、上潮と湖から出る水がぶつかって波立っていた。海水と真水なので潮目もはっきりと見えた。なかなか面白い現象だ。
 さてそこから今日の泊まり場所オラフィまでひた走る。右手の山の間から氷河が至るところで垂れ下がっている。車窓から写真を撮るだけなので、みなピンぼけ。
 オラフィのリトラホフというのが今日の宿。19:00に着いたが民宿だったのでレストランがない。あわてて車で近くのガソリンスタンドに食料を買いに行ったが、コンビニ部分はもう閉まっていた。オラフィの10kmほど手前にGSがあったのでそこに車を飛ばす。そこもコンビニはもう閉まっていた。
 仕方ないので民宿に引き返し「どこかた食べられるところはないか」と聞いたら、「20kmほど先にスタフカフェットルというホテルがあり、そこのレストランはまだ開いているはずだ」とのこと。また車を飛ばして行く。スタフカフェットルといえば、アイスランド航空の東京事務所に申込んでも予約が取れなかったところだ。さぞ混んでいるんだろうなと思いながら行って見たら、ガラガラだった。ひっそりとしたレストランで食事。20:30ごろ食事を終えホテルの外に出たら夕焼けが美しかった。オラフィに戻った時はもう真っ暗になっていた。本日の走行キロ431km。

 

9月8日(日)晴れ

 民宿リトラホフの後ろは岩山がそびえ、青々とした牧場となっていて景色が良い。朝食前に付近を散策。だんだん分かってきたが、朝食はどこもバイキング形式で、酢漬けの魚が出る。日本で言えば「ままかり」に近い。それが美味いのだ。今朝もままかりをたらふく食べた。
 オラフィを9:00に出発。スタフカフェットルの手前にスビナフェットルという氷河があり、その舌端まで車で行ける道がついていたので入ってみた。この氷河は地図で見ると大して大きなものではないが、それでも近づくとその大きさに圧倒される。しかし氷河の舌端は途中で巻き込んだ岩や砂で真っ黒に汚れている。
 氷河の舌端は、高さは30mぐらい、氷の表面は黒光りし波を打ちながら、傾斜45度ぐらいで消えていた。人間のサイズと比べるととにかくでかい。氷河の舌端の地面には泥水の池ができていた。
 氷河の脇を30分ほど登ってみた。岩と砂が混ざった歩き難いところだ。側面の山腹の岩壁を見ると、下のほうはツルツルに磨かれていたが上のほうはギザギザの岩壁だった。下のほうは氷河に削られたが、上のほうは削られなかったためだろう。
 いつの間にか歩いている砂利(砂利といっても傾斜30度ぐらいの斜面である)の下が凍っていて、1歩歩くたびに、氷河と山腹との隙間(シュルンド)にずり落ちて行く。このまま進んだらシュルンドにはまってしまい出られなくなる。このときは背筋がゾッとした。急いで、かつ慌てず、引き返しその凍結地帯を脱出した。脱出地点は凍結地帯に突っ込んだところより10mぐらい下がっていた。
氷河面上の大きい波(写真8) 30分登っても純白な氷河面に到達できなかったので引き返すことにした。さすがに氷河は大きい。氷河面上の波(写真8)は高さ5m〜10mあった。所々クレバスが走り、不気味な暗黒の底が開いている。下りは氷河からできるだけ離れて、山腹を駆け下った。足が棒のようだ。
 車道に出てから隣の氷河の舌端(写真9)をのぞいた。ここは行儀良く形に収まっていた。車道から舌端までの距離が長いのでここは撮影だけで、現地まで入るのは割愛。
氷河の舌端(写真9) R1を進んでスタフカフェットルの展望台まで車で登った。いままで氷河に直接触れてきたので、展望台の景色はどうということもなかった。氷河から流れ出た川が作った大きな砂利の平原(スキュイザルアゥルサンドゥル)が広がっている。ここは1996年にバトナ氷河の下にある火山が噴火して大洪水を起こしたところだ。砂利の平原の幅は25kmもあるとのこと。その砂利平原を網の目のように細い川が流れていた。砂利平原の端には信玄堤が築かれていた。この知恵はどこから伝わったのだろうか。
 スタフカフェットルの自然科学館にはバトナ氷河の学術的資料が展示されていた。ゆっくり見たかったのだが、何せ英文を読むのは時間がかかるので、図や写真だけで済ませた。1996年の大洪水の記録映画をビデオで紹介していた。すごい大きな氷塊がR1の橋を押しつぶし、乗り越えして流れて行く様は迫力があった。その後の復旧過程も記録されていて大変参考になった。ビデオの最後に、砂利平原に取り残された大きな氷塊を、夕日をバックに芸術的に撮っているシーンがあった。非常時にもなかなか余裕があるなと感心した。
 10:50にスタフカフェットルを出発。砂利の大平原を長い長い橋で渡った。大平原を過ぎるとテーブルマウンテンの岩壁が道路際までせまりその下を走って行く。岩壁は苔で覆われ、どこも濃い緑色である。所々、岩壁の下に溶岩洞も開口しているが見ているヒマはない。
 途中のガソリンスタンドで昼食をとり、13:20、F208に入って、いよいよランドマンナロイガルに向かう。入ってすぐ溶岩が三角山のように盛り上がったところがあった。その底には穴が開いていた。氷河のぼりをしたので予定より遅れている。ダートの道をぐんぐん飛ばす。対向車が砂塵をもうもうと上げながら走ってくる。道が峠のように盛り上がっているところは対向車が見えないので、必ず三角の注意標識が建っている。
最初の渡河(写真10) いよいよ最初の渡河。川の深さを測ったら30cmぐらい。少し下流を調べたら20cmぐらいのところがあったので、そこに突っ込む。初めてなので緊張したがうまく行った(写真10)。
 ランドマンナロイガルへの道は、尾根の上を走ったり、川底を走ったり(写真11)、ギャウの中を走ったり、変化に富んでいる。周囲の山々も苔だけが生えた原始の地形そのものだ。
尾根や川底(写真11) その山の中を2時間以上も走ったところにも羊がいた。「君達はどこから来たのかね」と声をかけたいくらいだった。こんな山奥でも徒歩で一人旅している若者がいたのには驚いた。帰りに見たら、彼はそこから少し先の草原でテントを張って野営していた。近くにきれいな小川があるからだろう。すごい精神力と体力だ。トレッキングをしているのはみな西洋人だった。
 渡河もだんだん慣れてきたので、水深を測らずに突っ込んだことがあった。意外に深く、水圧で車が止まりそうになったときにはハッとした。なんとか乗りきれたが、それ以降はまた水深を測るようにした。
 16:20ランドマンナロイガルに到着。国立公園の管理事務所とトイレがあるだけ。左手は川を挟んで赤茶けた火山がそびえ、右手は黒い溶岩流が押し出した下から温泉川の湯気が上がっている。青い空とあいまって別天地の眺めだ。広い駐車場に車は10台ぐらい。やはりゴツイ車が多い。
 湿地に敷いた木道の先が露天風呂になっていた。露天風呂の脇に木製のベランダのようなものがありそこが脱衣場らしい。先客のタオルがかかっていた。そこで素っ裸になって水泳パンツをはいていたら、風呂の中から声がかかった。あとで考えてみると「俺のタオルを使っていいよ」と言っていたのだろう。
 露天風呂は15m四方ぐらいの大きなものだった。湯船の上流で川が2本合流し、透明な湯とやや白濁した湯が混ざっていた。完全に混ざりきらないので湯船の真中で色が変わっていた。温度は適温。やや硫黄の匂いがする。すぐ後に荒々しい溶岩の末端がせまっている。
 先客とたどたどしい英語で会話した。先客は地元の酪農家で、中学生ぐらいの娘さんを連れてきていた。しばらく会話が続く。当方のいい加減な英語ではお父さんは何度も聞き返してきたが、娘さんは文章になってなくても単語だけで何を言いたいか判断しているらしく、スムーズに進んだ。写真を撮り、あとでメールで送ることにして、メルアドを書いてもらった。
 この交流のため予定時間をかなり超過してしまった。車に戻ったら相棒は待ちくたびれて、絵葉書を書き終わり、走行記録をつけていた。車の前のナンバープレートが脱落しているという。いつの間にとれたのだろう。渡河のときの水圧か、ずいぶんひどい道を走ったので、他のF道路か。
 17:30ランドマンナロイガルを出発。今日の泊まり場所はビークなので可能な限り飛ばす。行きに3時間かかったF208を2時間で駆け抜け、R1をひた走ってビークへ。夕日が真正面なのでまぶしい。ビーク手前の道路脇の岩山が夕日を浴びて赤く染まり美しかった。そのうしろに広がるミールダルス氷河も赤く染まっていた。
 R1に今日の泊まり場所の看板がでていたので、その坂道を登ってみたがそれらしきものはない。それから農道のような細い道まであちこち探しまわった。20分ぐらい探しまわってやっと見つけた。20:10にデイルホウラウェイというペンションみたいなところに着いた。高台にあるので、本物のデイルホウラウェイ(海岸の絶壁)の台地が良く見える。ここもレストランがないので食料を買いにGSまで走った。部屋で食事。
 夜、外に出てみたら何となく空が白く光っている。見ているうちに次々と形を変えてゆくのでオーロラだと気がついた。シャワーを使っている相棒に声をかけ、写真撮影に出かけることにした。宿の付近は北に高い岩山がそびえているので、どこか適当なところを探そうと22:15に出発。R1を10分ほど西に進んだら、まわりも暗く、空をさえぎる山もないところに出たので、そこで三脚を据えて撮影。R1を時々走ってくる車のヘッドライトが邪魔に感じた。昼間運転しているときは対向車がなくてさびしいねと言っていたくせに。
オーロラ(写真12) 真上の天空に天の川のようになったり、地平線の上に垂直にかかるすだれのようになったり、西の空を水平に横断するようになったり、実にいろいろと形を変える。今まで写真で見たオーロラより色が淡い。しかし後で、これを写真屋で現像してもらったら実にきれいな緑色になったのでビックリ。人間の目の感じ方と化学物質の感じ方が違うのであろう(写真12)。
 だいぶ着込んできたのだが、だんだんと寒くなったので23:15に引き上げることにした。やっとオーロラが見えた。これでアイスランドにきた甲斐があった。満足。
 ペンションに帰る途中、左に曲がったとたんに、羊が5〜6頭ほど道路で寝そべっているのに出くわした。上り坂だったのでアクセルを目一杯踏んでいたが、慌ててブレーキを踏んで事無きを得た。羊もヘッドライトで驚いたろうが、人間も驚いた。本日の走行キロ347km。

 

9月9日(月)晴れ

 ペンションを9:30に出発。ペンションの前に並んでいる車のうちでは我々の車が特に泥だらけだ。昨日のランドマンナロイガル往復のせいだろう。
 まず、真正面にあるデイルホウラウェイを見に行く。R1から海側に入りデコボコ道を通り展望台についた。海岸の崖から右手(西)にデイルホウラウェイの海食洞が開いた絶壁の岬が見える。左手(東)は砂浜の先に絶壁がそびえ、その先に侵食されずに残った溶岩尖塔が海中から突き出している。日本では南紀串本にある橋杭岩に似ている。海原の先には1974年に大規模な割れ目噴火を起こしたヘイマエイ島が見える。快晴なので色が鮮やかだ。しかし期待していたホフン鳥は見られなかった。くちばしが極彩色の水鳥でこの付近でしか見られないという。
 次に灯台がある展望台に行った。風が強かった。ここは前の展望台より高く、デイルホウラウェイ岬も近かった。更に良い眺めだ。西に長い砂浜が続き、その先にレイキャネス半島らしい低山が連なっていた。足元の絶壁には白い鳥が巣を作り、さかんに出入りしていた。デイルホウラウェイに続く高さ100mの絶壁には手すりなどなく、危険は本人負担で楽しんでくださいとのこと。
 10:20にそこを出発してスコウガフォスの滝に向かった。R1を快調に飛ばし10:45にはスコウガフォスに着いた。海岸に面した溶岩台地から一気に60mを落ちる滝だ。遠くからでも虹と滝が見える。回りは牧草地のためか緑が美しかった。
 有名な観光スポットなので駐車場には観光バスが何台かついていた。草原を歩いて滝壷に近づくと両岸の壁が覆い被さるようだ。その壁に生えた草を求めて羊が絶壁の途中にいた。よくもまああんな危険なところまで行けるものだ。カモシカ「はだし」だなと羊を見なおした。
 滝壷では1人しぶきの中で釣りをしていた。じきに何か釣り上げたらしく意気揚揚と出てきた。相棒が写真を撮りたいと言ったら、50cmほどの鮭を高々と上げていた(写真13)。こんな短い川でも鮭が登ってくるのか。登ってきてもスコウガフォスの滝は越えられないのに。
 車で少し走ったところの同じ溶岩壁の続きに、我々が裏見の滝と呼んだセリャラントフォスがあった。高さは40mぐらいで水量はさほど多くないが、滝の裏側に回れる。裏から見ると滝の飛まつを通して、前面に広がる牧場地帯が見える。緑の牧草と白い飛まつの組合せが面白い。
 ヘットラで昼食をとった後、セルフォス周辺の地熱地帯をたずねるため、13:50に30号に右折する。これから先は地図を見ながらでないと分からないほど複雑なルートで、地図に出ている地熱マークを回った。地熱マークのところに行くと、温室栽培だったり、クアハウスだったりで、いわゆる観光地としての湯気もうもうというものではなかった。R35沿いのケリーズというクレータは一見の価値あり。自動車道路のすぐ脇にそれより低い火口があり、緑の水をたたえていた。その周辺は別荘地とのことで草原にコテージが散在していた。
 地熱マークめぐりの最後はクベラゲルジだ。住宅街を通り抜けて山すそに行くと、ゴルフ場のコースから湯気が噴出していたり、山間部の谷間から湯気がもくもくと吹き出しているところがたくさんあった。しかし自動車道路が続いていないので遠望しただけで引き返さざるを得なかった。
 住宅街まで引き返して煙の見える谷間に下りてみたら、住宅地の路傍からボコボコ熱湯が湧き出していた。その下の川原でもあちこちから湯気が上がっていた。しかし野湯を楽しめるほどの環境でもないのでレイキャビクに引き上げることにした。何となく消化不良の感じ。
 16:20にクベラゲルジを発ったが、市内に入るところが渋滞していたので、レイキャビクには17:45に着いた。まだ日が高いので、レイキャビク東郊にあるエリダウルという小さな川に鮭を見に行った。上を国道が走っている橋の下が小さな滝となり、そこを飛び越える鮭が見られるという。相棒はその滝で定点観測。当方はその橋の下全体の瀬を移動しながら観測。
 当方はとうとう見つけられなかったが、相棒は滝を飛び越えようとする小さな鮭を見たという。残念。やはり定点観測の方が良かったか。30分ほどで切り上げてホテルへ。
 夕食の後、夜は市の中心部へ「ボルカノショー」と銘打った火山映画を見に行った。民家を改造したような劇場で、8mm程度のフィルムを大きなスクリーンに写しているので画面がなんとも薄暗い。内容もニュースや自分で映した断片的なシーンの寄せ集めで面白くなかった。興行もとの撮影者が「おれは火山の専門家だ」と思い込んでいるのも鼻持ちならない。専門家ならもっと見ごたえのある映画を作ってくれ。本日の走行キロ297km。
 これでプレ巡検も終わり。明日からは火山洞窟学会だ。相棒は明日もレンタカーでレイキャビク周辺をまわるとのこと。それにしても宿泊しているホテルキャビンは部屋が狭く設備も悪い。洗面所で顔を洗おうとしても頭が鏡の前のガラス棚につっかえて顔が入らない、電球は切れている、ランドリーの受付はない、設備の割には料金が高い等々。なんで火山洞窟学会はこのホテルを指定したのだろう。

(小堀 記)

 

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