パイオニアケイビングクラブ(PCC)の活動 


 

立石の大穴調査ケイビング

 2003年12月13日(土)、福島県相馬郡鹿島町にある立石の大穴でグアノ採取のための調査ケイビングを行った。参加者は小堀、佐藤(光)、星野の3名である。
 このグアノ採取は、東京女子医大感染症科の菊池氏からの依頼で、ヒストプラスマというコウモリが媒介しているかもしれない感染症の研究のためのものである。
 前夜、星野宅で仮眠をとり、当日、3:30に車で目白を出発した。5:30、日立で佐藤と合流。まだ真っ暗な中を常磐道で北に向かう。常磐道が広野まで伸びていたので30分ほどもうけた。鹿島町には8:00着。幸い天気も上々。
 コンビニで食料を仕入れた後、鹿島町の歴史民俗資料館に向かう。8:30に資料館で教育委員会の佐藤さんから大穴の鍵を借りた。気さくな人で、我々の体型を見て「これなら狭洞は突破できそうだ」と言っていた。
 9:00、真野ダムの管理棟であぶくまけいばーずの荒会長と合流。荒さんが既に導水トンネルの鍵を借り出していてくれた。今日は荒さんが大穴を案内してくれることになっている。最敬礼して感謝の意を表す。荒さんも気さくで、感じの良い人だった。
 相馬市の社会教育主事をしている、これまた佐藤さんという人を連れていた。近々、生徒を連れて大穴に来る予定らしく、その下見とのこと。これで佐藤さんが3人現れたことになる。この辺には佐藤さんという名前が多いのかな。
 9:15、荒さんの軽四輪に乗って導水トンネルへ。真野ダムの堰堤への入口には車止めのコンクリートブロックが置いてある。その間隔が軽四輪の車輪幅一杯。その間を一発で通りぬけたので喝采。導水トンネル入り口の鉄格子の鍵を開け、直線550mの導水トンネルを車で抜ける。
 ここでケイビングスーツに着替え、小沢を渡り、対岸の斜面を左手にトラバースするように登って行く。適当な間隔で木の枝に赤い布が下がっている。10分ほどで大穴洞口着。洞口は高さ2.5m、幅2.0mぐらい。大穴は、昔は行者が修行に使っていた穴とのこと。立石から来る林道は大穴の上を通っているとのこと。
 まず全員小便を払ってから、10:05に入洞開始。入ってすぐ右に曲がり小さなホールがある。その明り取りのように丸い穴が2つ開いていた。やや首を曲げる程度の高さのボアパが続く。この付近はキクガシラコウモリがぶらさっがている。秩父でよく見かけるコキクガシラより大型で顔も可愛い。
 7mの竪穴にかかっていた鉄の橋は腐ったので既にはずされていたが、特に危険はない。その少し先に鉄梯子があり5mほど下ると旧洞の大ホール。床には結構大きな石が転がっている。荒さんが教育主事の佐藤さんに「生徒を連れてくるならここまで」と説明し、佐藤さんはここに残ることになった。大ホールの状況をもっと確認し、安全性を確かめるとのこと。
狭洞入口の鉄格子(写真1) 旧洞の大ホールを進むと、コンクリートで埋めたという従来の狭洞があった。説明されなければコンクリートとは気がつかないほど上手に工作されていた。そこから左手に大きく迂回して、反時計回りに進むと、新洞への入り口の鉄格子(写真1)があった。かまぼこ形で、高さ50cm、幅1mぐらい。最近鍵を変えたとのことで錆ついておらず、すぐ開いた。錆つき対策のため油も持ってきたのだが。
最狭部通過中(写真2) 佐藤がトップで進む。ここから先は直径50cmぐらいでかなり狭い。幾つかの小部屋を抜けると、問題の最狭部(写真2)についた。直径はちょうど人の胴体の太さで、その前後で直角に曲がっている。でも最狭部の長さは1mぐらいなもの。佐藤、星野と無事通過し、当方の番。両手を伸ばして最狭部に体全体が入ると推進力を失い進めなくなった。幸い足の先の天井に出っ張りがあったので、足でそれを蹴ってじりじりと前へ進む。どうやら通過できた。狭洞部分は、かなりの風速で奥に向かって風が吹き込んでいた。
 荒さんに「どうぞ」と声をかけたら、「私は太り過ぎで通れないので、ここで待っている」とのこと。「エッ」と驚いたが、別な見方をすれば「あとは皆さん自由に行動してください」という配慮かもしれない。戻りの時間を14:00と定めて、PCCの3人だけで奥に進んだ。
 狭洞を抜けたところのホールは「喜びの間」という名前。この天井の上に地底湖のある上層があるというのだから、ちょっと信じがたい構造だ。今、這い出してきた狭洞の上を通るように坂道を登り、峠を越すと真野の峡谷に下って行く。
 落盤の大石が乱雑に積もった中を進むと、左手に、地底湖(エメラルドの泉)に続く支洞が分かれる。といっても、その支洞は5mほど上なので見えない。昔はそこに登る梯子が取りつけてあったが今はない。今は垂直な壁を5m登らなければならない。
 その少し先で崩落した大岩の隙間を登る。星野はフリーで難なく登ったが、当方は足が届かない。佐藤に押し上げてもらって通過。その崩落山を下った所に「長寿の泉」があった。このリムストーンプールにはメナシヨコエビがいると言うことだが、よく分からなかった。
コウモリの館でグアノ採取(写真3) 四辻へは、床が砂となった天井の低いところを這いぬけて行く。こんなところがあったっけという感じ。四辻からコウモリの館までは大きな洞で、洞内カルストと呼ばれるドリーネもある。「コウモリの館」はコキクガシラコウモリのコロニーで天井一杯にコウモリがぶらさっがている。その下で、星野が所定の容器でグアノを採取(写真3)。前回も経験しているだけあって手馴れたものだ。
 ここで、水流沿いの下層ルートと、上層のボアパルートに分かれる。グアノ採取があるので上のルートに入る。幸い、5mほどの段差にはロープが残されていた。ロープをたよりにT字路まで登る。そこにグアノの山(直径1m、高さ50cm)があった。天井には竪穴があいているだけでコウモリは居ない。多分、この竪穴の上にホールがあり、そこにコウモリの大群が居るのであろう。ここでもまたグアノを採取。
 曲がりくねった上層を行くと、「睡蓮の池」があり、少し行くと大きな穴は真っ直ぐ下に向かって下って行く。ここは右手の4mの段差を登るのがメインルートだ。しばらく水平に進むと4mの段差を下る。ここには昔はザイルが固定されていたのだが無くなっていた。帰りがフリーで登れるか心配だったが、ためらうことなく下った。少し行くと、右手に「霧雨の間」支洞が下って行く。ここは両側に25mぐらいの垂直な壁がそそり立つ支洞だ。
 それをどんづまりまで見てから主洞に戻り、主洞の終点である「東の物見」に着いた。ここは下層の終点にある「黄泉の窟」と呼ばれている大ホールの壁の途中に、窓のように開いた所だ。佐藤が強力ライトで対岸の壁を照らす。足元は垂直な壁となって落ちこみ、対岸には「鬼のはらわた」支洞から落ちる細い滝のようなものも見える。
4mの段差を登る(写真4) SRT装備を置いてきたのでここは下りられない。見物しただけで引き返す。行きにフリーで下った4mの段差がどうしても登れない。見かねた佐藤がスルスルと登り、ザイルを降ろしてくれたが、ナチュラルアンカーのある支点が壁の端なので横に引っ張られてうまく登れない(写真4)。星野に中段まで押し上げてもらって何とか登れた。
 帰りはT字路から右に曲がって東の回廊を最奥まで進んだ。ここも最後は竪穴になっておりSRTなしでは手が出ない。この支洞は新種の洞窟鉱物が発見された所だが、どれがその鉱物か分からなかった。また、ザイルの残された5mの段差を下り、「コウモリの館」で昼食。昨日の晩飯以来水を飲まないで過ごしたので、幸い小便は催さなかった。
 昼食の時、「昔の狭洞をうずめてしまったので、ここにいるコウモリはどこを通って外に出ているのだろう」と話題になった。狭洞を通過した時、風は奥に向かって吹き込んでいたので、奥部から直接外界に出る穴があるのだろうということになった。
 時間が余ったので、測量図に出ている「地底湖(エメラルドの泉)」への支洞にフリーで行けるバイパスルートを探したが、どれがそのルートか分からなかった。仕方がないので少し早いが出洞することにした。予定より30分早かったが、狭洞を突破して顔を出したら荒さんが待っていてくれた。
 ここで洞内生物などの説明or講義を受けて、洞口へ。時間があったので三途の川支洞にも入ってみた。少量の水流があり、床面はずっとリムストーンで覆われた支洞だ。高さは前かがみになる程度、幅は人の幅の2倍ぐらい。風は奥から吹き出していた。どこまで行っても同じような穴なので適当なところで引き返した。コウモリが凄いスピードで脇を通りぬけて行った。中には当方の身体にぶつかるヤツもいた。
 出口に着くと、洞口のシルエットの中に青空と冬枯れの山肌が見え、一幅の絵になっていた。14:30出洞。たまたま狭洞の話になり、「もし狭洞より奥で怪我人でも出たらどうするのだろう。とても運び出せないね」ということになった。今回怪我も無く、無事出洞できたことを改めて喜んだ。
 導水トンネルまでの山肌をノンビリ下り、着換えてから車に乗って管理事務所へ。ここで鍵を返し、15:15頃、荒さんにお礼の挨拶をして別れた。歴史民俗資料館には15:45頃着いた。ここで佐藤さんに大穴の鍵を返した。無事の出洞を喜んでくれた。
 6号線は普通の混み方だったが、常磐道は空いていた。日立に18:15着。池袋に20:30着。往復500kmを一人で運転してくれた星野氏に感謝。

(小堀 記)  

 

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