パイオニアケイビングクラブ(PCC)の活動 


 

横箱沢/センドウギ沢洞窟探索

 2003年6月7日(土)、晴れ時々曇り一時雨。埼玉県秩父郡大滝村(現秩父市)中津川支流横箱沢及びセンドウギ沢で洞窟探索を行う。参加者は芦田、伊藤、大喜多の3名。
 今回の目的地である横箱沢及びセンドウギ沢は、石舟沢鍾乳洞がある石舟沢の南東にある沢で中津川沿いの上流側がセンドウギ沢、下流側が横箱沢である。
 横箱沢もセンドウギ沢も地質図上では石灰岩体が記載されていない場所であるが、先月の10日に行った仏石山鍾乳洞練習ケイビングの際、対岸の横箱沢上流部に石灰岩壁っぽいものを遠望することができた。また、センドウギ沢については沢すじに石灰岩の転石が数多く存在し、左岸上方に石灰岩壁があるという情報も得ていた。
 さらに中津川の横箱沢出合い及びセンドウギ沢出合い付近は明らかに他の場所よりも石灰岩の転石の数が多いことが確認できた。石舟沢出合いでさえ、ほとんど石灰岩の転石を確認することができないことから、この2つの沢の上流には石舟沢よりも大きな石灰岩体がある可能性が非常に高いと思われる。
 そこで、今回は洞窟探索というよりは石灰岩帯探索のつもりで出かけることにした。そして、まずは石灰岩のような岩壁が遠望できた横箱沢の方から探索することにした。時間に余裕があれば、そのままセンドウギ沢の方へも行く予定であった。
 中津川本流から横箱沢に入ると、すぐにいくつかの石灰岩の転石を確認することができた。上流に向かうにしたがって石灰岩の転石の数は増え、その大きさも徐々に大きくなっていった。これは有望かもしれないと思いつつ、沢を遡行していくが、しだいに沢の勾配が険しくなり、ついには滝になってしまった。
 大喜多が滝下で待機し、芦田と伊藤のみ左岸の尾根を巻くようにして、滝上を目指した。沢水は多段式の滝の途中にある巨大な転石の下から湧き出していて、滝より上方は伏流となっていた。と同時に沢の勾配も少し緩やかになったが、水がなくなったため、ただの急斜面となってしまった。
 周囲の状況から石灰岩壁を見つけることはできそうにないかと思い始めた頃、右岸側上方に小規模な石灰岩壁を確認することができた。先行していた芦田は、さっそくその岩壁下を上流に向かって移動した。岩壁は一旦切れるが、上方でさらに続いている。急斜面を登り、再度、岩壁下に取りつく。しかし、上方の岩壁も上流側はそれほど続いてはいなかった。そこで岩壁下を下流側に移動していくと、尾根すじに出たところで、小さい洞口を見つけた。
「横箱沢右岸の穴下洞」洞口 さっそく入洞してみるが、奥行きは7mで、それ以上は狭くて入洞不能となっていた。ディギングも困難である。一応、フローストーンなどの二次生成物は確認できるので石灰洞であることはまちがいない。さらにその横穴の上方2mにも洞口が確認できた。若干登るのがシビアだったが、なんとか登り切る。しかし、こちらの方も奥は狭くなって入洞できず全長は3mしかなかった。下の穴には獣の匂いがこもっていたので、冬眠穴かもしれない。それぞれ「横箱沢右岸の穴下洞」、「──上洞」と命名する。
 そのまま石灰岩の露岩が点在する尾根沿いを下流方面に戻っていくと、尾根の突端が高くなっていて石灰岩峰となっていた。そして、その石灰岩のタワーの上に登ると、周りの景色がよく見渡すことができた。なんと横箱沢の左岸に右岸側のものよりも大きな石灰岩壁が確認できた。さらに中津川対岸の仏石山鍾乳洞も、はるか遠くの藤十郎沢の石灰岩壁も遠望することができた。
 芦田は後続の伊藤にトランシーバーで横箱沢の左岸にある石灰岩壁に向かうよう連絡とり、ここで昼食をとることにした。その間、伊藤が対岸のやぶの中を移動するのを音で確認しながら、石灰岩壁の方へとトランシーバーを使って誘導する。
 こちら側の岩壁よりもはるかに大きき大絶壁である。芦田は新洞が見つかるのではないかと期待しつつ、伊藤の報告を待つが、結局、洞穴を発見することはできないという連絡を受けることになる。そのうえ、伊藤から壁のような斜面を登ってしまったため、横箱沢に戻るのは困難で、尾根越えで枝沢に入り、そこから下に降りるという連絡を受けた。また、大喜多からも滝を登るのを断念し、下に降りると伝えてきた。
 1人だけになってしまった芦田は、どう行動するか悩んだが、時間がまだ昼過ぎだったので、とりあえず石灰岩タワー直下の周囲を調べてみることにした。センドウギ沢側の急斜面を降り、タワーの岩壁下に回りこんでみると、横箱沢側で確認した最初の石灰岩壁に戻ってしまった。とくに新発見もなかったので、そのままUターンして尾根すじにある横箱沢右岸の穴の前まで戻ってきた。じつはこの地点からセンドウギ沢側の石灰岩壁も始まっていたのである。
 ここで芦田は再び、どう行動するか悩んでしまった。撤収するにはまだ早い時間であったが、伊藤、大喜多とも下山を開始している。しかし、目の前には大きそうな石灰岩壁が立ちはだかっている。いろいろ考えた末、今後の洞窟探索のためにも簡単に偵察してみることにした。
 芦田はトランシーバーで伊藤、大喜多の両名に尾根の反対側に移動するので、しばらく通信ができなくなることを告げ、センドウギ沢左岸側の石灰岩壁下を上流に向かって移動を開始した。
 予想どおりというか、予想以上というかセンドウギ沢左岸の石灰岩壁はずっと続き、なおかつ上下に何段にもわたって連なっていた。おそらく、この地域にある石灰岩壁としては最長のものであると思われる。とても1人で探索できるような規模ではなかった。というわけで、探索場所をいつでも尾根すじに出られる高い位置にある岩壁下に絞ることにした。
「センドウギ沢のクラック穴」洞内の縦穴 小尾根を回りこんだところで小さな洞口を確認した。標高が高いのであまり期待せず、のぞいてみると摂理支配の洞穴だった。入ってすぐに小ホールで、その先は縦穴になっていた。深さは8mほど洞床付近には何本が狭い穴があるが、落石や崩落で出られなくなっても誰も来てくれないので無理せずに出洞した。全長は25mほどで縦穴部分には溶食された跡もあったので、一応、水による影響を受けた洞穴のようであった。「センドウギ沢のクラック穴」と命名する。
「センドウギ沢の斜め穴」 洞口(洞外) トランシーバーで連絡をとるために尾根すじに出ようと、斜めに急な岩場を登って岩壁上に出ると、これまでとはうってかわって、なだらかな露岩帯となっていた。付近を何気なく見回してみると露岩下にある窪地が目に入った。まさかと思いつつ近寄ってみると、まちがいなく斜洞状縦穴の洞口であった。芦田が高度計を確認すると標高1200mだった。
「センドウギ沢の斜め穴」洞口(洞内より) さっそく入洞してみると、斜めに10m下って埋没していた。天井が弧をえがいていて、その弧の大きさから判断すると洞自体は意外に大きいようで、4分の3くらいが土砂により埋没している感じだった。形状から判断して水か流入してできた洞穴であることはまちがいなかった。こんな山の上に流入型の洞穴があるというのは驚きだった。ディギングしだいでは延びる可能性もあるが、下に向かっての作業は困難を極めそうである。とりあえず「センドウギ沢の斜め穴」と命名する。
 さらに驚いたのは尾根すじに出ていないにもかかわらず、トランシーバーが通じたことである。すでに大喜多は車まで戻っているとのこと。尾根に近いうえに谷が大きく開けているため、中津川沿いの車道と交信が可能となっているようだった。これまでの成果を報告し、15:30まで探索を続けて16:30には車に戻ると伝える。残りの探索時間は1時間弱だった。
 センドウギ沢の斜め穴周辺を探索してみると、10mも離れていない崖上付近に残存洞を確認した。入洞できる距離は5mあるかなしかであるが、天井が落ちて蛇行した溝になっている場所があり、もともとはそれなりの規模の洞穴だったと思われる。おそらくセンドウギ沢の斜め穴とも関連があるはずである。一応「センドウギ沢の残り穴」と命名する。
 この付近の岩場でもう少し探索したかったが、石灰岩壁はまだずっと続いていて、それがどの辺りまで続いているかを確認したかったので、綿密な探索は断念して早足で岩壁下を上流方向に移動する。その途中で枝沢を1本横切った。若干の水流もあったので期待をもって探索したが、とくに成果はなかった。ただし、石灰岩の溶食地形が大ガマタ沢・ケイ谷洞付近の涸れ沢と非常によく似ていた。綿密に探索すれば埋没洞口を発見できる可能性があるかもしれない。
 石灰岩壁は、これまでのようにセンドウギ沢に対して平行ではなく、直角方向──つまり枝沢沿いの右岸を下流(センドウギ沢)に向かって続いていた。その岩壁下を沢沿いに下っていくと、上方に怪しげな場所を見つけるが、ちょっとした段差があり簡単には取りつけそうにない。時間もなく人手もないので次回の課題とする。
 さらに少し下流で間口が5m以上ある大きな洞口を確認する。過去の例からすると奥行きはあまり期待できなかったが、やはり予測どおり奥行きは5mほどだった。ただし、最奥部には数本のつらら石を確認できた。測線延長にして約10mの洞穴であるが、数人がビバークできる規模の洞口を持っている。「センドウギ沢左岸の穴」と命名する。
 センドウギ沢左岸の穴から少し下ると石灰岩壁は沢から離れ、尾根に向かって登っていくようになる。芦田もそれにしたがって岩壁下を移動するが、しだいに岩壁は摂理だらけとなり、溶食形態が失われてきた。だんだん石灰岩でなくなりつつあるような気がする。そして、再度沢に出たところで石灰岩壁は途切れた。その先の岩壁は石灰岩ではなくなっていた。
 どうやら、この沢がセンドウギ沢本流のようだったが、水はまったく流れておらず、完全な伏流だった。上流からの石灰岩の転石もあまり見られない。センドウギ沢左岸の長大な石灰岩壁もようやくお終いになったようである。おそらく、ここからは右岸側下流に向かって続いているのではないかと思われるが、時間が15:30となったため、下山しなくてはならない。センドウギ沢右岸側の探索も今後の課題である。
 センドウギ沢を少し下ると、左岸側から枝沢が合流してきたが、こちら側の水流もなくなっていた。センドウギ沢は午前中に登った横箱沢と違い、非常に緩やかな傾斜の沢だったが、これは石灰岩地帯で水が伏流しているせいかもしれない。ということは、この河床下に洞穴がある可能性があるわけであるが、被覆土が厚く覆っているためか河床面が石灰岩母岩になっている場所は見あたらない。そのかわりいくつもの小露岩があちらこちらにあり、そのうちの1つで5mほどの洞穴も確認した。曲がりなりにも洞穴なので「センドウギ沢の小穴」と命名しておく。
 さらに下流に向かって進んでいくと、いきなり水音が聞こえてきた。音から判断するとけっこうな水量のようだった。湧き水というよりは水穴の可能性が高い。芦田は思わず小走りになった。しかし、水音の正体は湧き水でも水穴でもなく、右岸側からの枝沢だった。それが水の涸れた本流に合流していたのである。
 がっかりしつつ合流地点に到着した芦田は枝沢の上流を見て、まさかと思った。なんと、その枝沢は50mほど上流の石灰岩壁の下から始まっていたのである。双眼鏡を取り出して確認してみるが、やはり岩壁下から水の流れが始まっている。一瞬、確認しに行くかどうか悩む。しかし、センドウギ沢が予想以上に歩きやすかったため、芦田は沢を駆け下りれば時間に間に合うことができると判断した。はやり新洞発見の誘惑には勝てなかったのである。
「センドウギ沢の水穴」 枝沢を登っていくと、まちがなく湧き水──人が入れるかどうかは別として水穴であることがはっきりしてきた。明らかに洞口が確認できる。芦田はさらに足を速めた。そして、洞口をのぞきこむ。じつに微妙だった。入洞可能である。しかし、水流に浸かりながらの匍匐になりそうだった。つまり、入洞すれば全身ずぶ濡れになることはまちがいなしという状況だった。
 時間も気になる! ずぶ濡れにもなる!! どうする!? 激しく悩む芦田だったが、このとき、穴神が降臨し、「探検せよ」とのお告げをくだした。突然、雨がポツリポツリと降り始めたのである。どうせ、このまま下山したとしてもずぶ濡れである。それなら水穴につっこんだ方が後悔がなくていい。激しくなる雨脚が芦田の心を水穴探検へと後押しした。
 芦田はつなぎ服を着こみ、水穴につっこむ。水穴は横穴ではなく、斜め上方に向かっている。つまり、洞内は斜め滝状態なわけである。冷たい水流を浴びながら匍匐前進で斜め滝を登っていく。約10mほどいくと、斜洞が終わって横穴となる。その先は人間がギリギリ入洞できる大きさだったが、水量が多いために人間が栓になって確実に水没してしまう。渇水期でないと入洞することは不可能だった。天井のつらら石を無念な思いで眺めつつ撤退する芦田だった。
 この水穴を「センドウギ沢の水穴」と命名する。標高は1010m。石舟沢鍾乳洞同様、この付近で洞穴が存在する可能性が高い標高である。センドウギ沢の水穴の奥が続いている可能性は非常に高いと思われる。水穴ルートからの進入は無理であるが、周囲には多くの石灰岩の露岩があるで、別に洞口を見つけることができるかもしれない。今回は時間切れなので、その探索は次回の課題である。それも早急に実施すべき課題である。
 その後、雨にうたれつつ(水穴でずぶ濡れになっているので関係ない)センドウギ沢を駆け下り、中津川出合いの滝を水しぶきを浴びながら(雨にうたれているので関係ない)ゆっくり降下し、中津川を腰下まで水に浸かりながら(滝水にうたれているので関係ない)素早く渡渉して車に戻った。16:30には車へ戻れなかったが、トランシーバーで連絡がつく滝上にはたどりつき、15分遅れで戻ることができた。
 今回の探索によりセンドウギ沢には石舟沢や藤十郎沢よりも規模の大きな石灰岩体が広がっていることが判明した。センドウギ沢の水穴付近の探査や左岸岩壁の探索もまだ不十分である。したがって、今後、何回か通うことになると思われる。その際は、センドウギ沢を遡行するよりも石舟沢の作業道を登り、途中から尾根を越えてセンドウギ沢に入った方が楽かもしれない。

(芦田 記)  

 

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