パイオニアケイビングクラブ(PCC)の活動 


 

スロベニアカルスト研究会に参加

 2002年9月20日(金)〜21日(土)まで、スロベニアのボストイナで開催されたカルスト研究会のポストツアーに参加した。日本からはカマネコ探検隊の浦田さん、法政大学の漆原先生夫妻および学生2名が参加し、PCCからは小堀が参加した。ツアー終了後もいくつかの鍾乳洞を回ったので合わせて報告する。

 9月19日(木)、晴れ。
 アイスランドを7:30の飛行機で発った。フランクフルトには13時ごろ着いたが、スロベニアの首都ルブリャーナ行きの便は20:20までないので、フランクフルト市内を見物した。
 ルブリャーナ空港には21:30ごろ着いた。しかし荷物が出てこない。航空会社の窓口でその旨伝えたら、パソコンで調べた結果、「荷物はフランクフルト空港にある。明日こちらに届くので、どこに送ったら良いか」と聞かれた。当方が滞在するホテルの名前を伝えた。最後に何か書類を作って渡してくれたが、お互いに不充分な英語のやり取りだったのでずいぶん時間がとられた。
 その次のトラブルは両替だった。両替窓口はもう閉まっていて自動両替機だけ。その両替機が故障していて使えない。スロベニアの通貨ストールは一銭も持っていない。これから70kmはなれたボストイナまでタクシーで行こうというのに。
 空港の喫茶店がまだ開いていたので、100ドル札を出して両替してくれと頼んだが、それは高額過ぎて両替できないとのこと。たまたま店にいた親切な若者が「両替しようか」と言ってくれた。交換レートの交渉になった。「1ドル220ストール」ということで折り合った。100ドルのピン札だったので幾分疑念を持ったのか、電灯にかざして丹念に見ていた。
 やがて納得がいったのか、持ち合わせがあるかどうか調べてくると外に出ていった。じきに帰ってくると「残念ながら持ち合わせがない」とのこと。こりゃ困った。
 もうどうしようもないので空港の係員に事情を話したのだが、全然とりあってくれなかった。
 いよいよ最後の手段で、タクシーの運転手に「ボストイナのヤマホテルまで行きたい。いくらだ」と聞いたら60ドルとのこと。「100ドル札しかないが、おつりは現地通過でくれ」と言ったら、「問題ない」とのこと。これなら最初からタクシーに乗り込めば良かった。おかげで空港を出たのは22:30ごろになってしまった。
 高速道路を突っ走って、ボストイナのインターで降りたが寂しい町だ。おまけに雷が光り、強い雨も降り出した。ずいぶん探しまわった挙句、23:30ごろ、やっとヤマホテルに着いた。「料金は80ドル、それに高速料10ドル」とのこと。1ドル1ユーロの換算で、結局おつりは10ユーロだけ。
 ホテルのカウンターでチェックイン。部屋は浦田さんと一緒だった。ようやく日本語が話せるのでホットした。建物は古いが大きなゆったりした部屋だった。

 9月20日(金)、曇り。
 今日と明日は、1泊2日でカルスト研究会のポストツアーに出かけることになっている。朝8時にバスが迎えにきた。参加者は75人とのことでバスは2台だった。
 バスで20kmほど離れたスコシャン鍾乳洞に向かう。ここは世界遺産に指定されている鍾乳洞である。バスの駐車場から10分ほど歩いたところにある教会の脇で現地説明があった。特に陥没ドリーネが見えるわけでもないのに何を説明していたのだろう。英語のヒヤリング力がないと、集団行動のときは本当に困る。
 そこからだらだらと下り、いよいよ陥没ドリーネの縁に出た。対面のドリーネの壁は高さ100mとのこと。おっかなびっくり縁まで乗り出して写真を撮る。ドリーネの壁のはるか下部にこれから通る遊歩道が細い線のように見える。多分一般の観光客は通らないであろう山道を下り、途中のカルスト地形の説明を受けながら、スコシャンの入口まで下った。
スコシャンの洞口(写真1) レカ川が滝となってスコシャンの陥没ドリーネに注ぎ込んでいる。その脇を通ってスコシャンの入口へ。陥没ドリーネの中が石灰岩の峰で2つに仕切られていて、そこにも峡谷と滝がかかっている。複雑な地形だ。スコシャンの洞口(写真1)は高さ幅とも20mぐらいある大きなものだった。
 スコシャン洞の通路は大部分、峡谷沿いの壁に刻まれた細い通路だ。だんだんと通路が高くなり一番高いところでは峡谷の底から100mぐらいあった。北に伸びる大きな支洞を渡る橋から見下ろした景色は最高だった。通路を照らす照明が峡谷ぞいに点々とうかび、はるか下を川がゴウゴウと音を立てて流れている。見上げる支洞の天井付近に以前は通路があったのであろう跡が見える。あそこまでどのようにして道を作ったのだろう。「あの場所では天井から吊ったのかな」と思われるほどオーバーハングしていた。
 峡谷沿いの道が終わると長い斜面の登り。陥没した分だけ登り返しているようだ。鍾乳石や石柱が所狭しと林立しているところにでた。その石柱に無残にもボルトを打ち込んで手すりを作ってあった。崖を削った通路といい、この手すりといい、かなり自然を破壊している。なんでこれが世界遺産なんだろうと疑問が生じた。
 外に出て、近くにある、地表に突き出た石筍を見学。説明によると鍾乳洞の天井が溶けてなくなり洞内の石筍が地表に現れたものだという。その石筍は小さなくぼ地にあり、高さ3m太さ1mぐらいで、苔がびっしり生えていた。
 スコシャンの6000分の1の地図をくれたが、あわただしく通りすぎてきたので、残念ながらどこをどう歩いてきたのか良くわからない。
 次に8kmほど離れたビレニカ鍾乳洞に向かう。ここはスコシャン水系の1つ下流の穴だ。スコシャン水系の水は地下を40km流れて、イタリアのデュイノで地表に湧出するとのこと。イタリア領のギガンテ洞もその水系の1つだそうだ。入口広場の芝生の上で地質図に基づいて説明があった。何と言っていたのだろう。
 ビレニカ洞の入り口は急な階段で下って行く。入口部分は竪穴だったのだろう。入るとすぐ高さ50mほどの大きな石柱があった。洞内を下るに従って見事な二次生成物のオンパレードになった。入口から見ればかなり下ったはずだが、とうとう水流は見られなかった。これでも本当にスコシャン水系の1つなのかね。スコシャンのあの豊富な水は何処へ行ったのか。
 バスで暫く走ったところにある古城村(城の中が村になった所)のレストランで昼食。庭にはぶどうの棚があった。その緑の葉が目にしみる。アイスランドから来るとスロベニアは緑が豊かだ。このへんはカルス地方と言い、カルストという言葉の語源になっただけあって、何処に行ってもカルスト地形だらけだ。
 午後は、石灰岩台地の下部から湧出する湧泉、長さ16kmのカレンなどを見てから、カニン山(スロベニアの北西部、イタリアとの国境の山、標高2587m)の麓にあるボーベッチェに向かった。ソッチャ川沿いに出た頃には真っ暗で何も見えなかった。ボーベッチェはスキー場で有名なところだ。今日の宿泊先カニンホテルには19:30ごろ着いた。

 9月21日(土)、晴れ。
 ホテルを8:30ごろ出発。今日はカニン山の山岳カルストを見学するので、ロープウェイ乗り場までバスで移動。かなり長いロープウェイで標高2200m付近まで一気に登る。見まわすと全山石灰岩の巨大な山がそびえている。スキーの滑降コースに大きな竪穴が開きその回りを網の柵で囲んであった。危険防止のためだろう。
灰岩特有の曲がりくねった溶食筋(写真2) ここでマウンテンカルストについてレクチャーがあった後、一列になって約2時間の登山コースに向かう。日本の登山道なら踏跡がありその回りに草が生えているのが常識だが、ここは全て石灰岩なので踏跡なんてない。岩の上に所々赤○のペンキがついているだけだ。
 地層は南に傾斜していたが全て平行に走り褶曲は見られない。一枚一枚の層が厚いのにも驚いた。だんだんと天気も良くなり白い石灰岩がまぶしい。所々に竪穴も存在する。大きな一枚岩の端に石灰岩特有の曲がりくねった溶食筋(写真2)が見事に走っていた。
両側に竪穴が開いた狭い通路(写真3) 参加者の列がかなり前後に広がってしまったので、尾根上の山小屋の前で全員集合するのを待って、出発点に下る周遊コースに入った。両側に竪穴が開いた狭い通路(写真3)を通る所には鎖が張ってあった。岩が乾いていれば特に心配するようなところではないが、一応鎖につかまって通過した。
 20分ほどでロープウェイ駅についた。それにしても本場の山岳カルストは素晴らしい。日本では絶対見られない景色だ。下りのロープウェイから、鹿が10頭ぐらい輪になって休んでいるのが見えた。写真を撮りたかったが間に合わなかった。
 ホテルにもどり昼食をとってから、カニンの山岳カルストで地下に潜った水が湧出する滝を見た。300mほどの岩壁の途中からカルストの集水が滝となって落ちていた。その滝のすぐ下流はもう枯れ谷になっていたので、また地下に潜ったのであろう。
 バスで南下してボストイナ西方の台地のカルスト地形を見ながら18:00ごろボストイナのホテルに着いた。これでカルスト研究会の全プログラムが終了なので、バスを降りたところで参加者相互に別れを惜しむ輪ができていた。ホテルに入ったらアドリア航空から荷物が届いていた。
 明日はクリツナ洞のゴムボートツアーを予定していたので、事前にメールでやりとりしておいたガイドのボリスに電話を入れたが、出てきた人はスロベニア語しか話せないらしく用件が通じない。フロントに行ってメールを見せて事柄を説明し、フロントの女性に電話してもらった。
 「彼が書いてきた電話は職場の電話番号で、今日は土曜日なので彼は休み。彼の自宅の電話番号を聞いてから用件を伝える」とのことなのでしばらく待つことにした。結局土日は彼の電話番号がつかめなかった。月曜日にやっと連絡が取れ、火曜日(9/25)にクリツナ洞に行くことになった。職場の電話番号ならその旨および土日は不在であることをメールに書いてくれればいいのに。

鍾乳洞の入口に城があるプレディー洞(写真4) 9月22日(日)、雨。
 浦田さんとボストイナ周辺の有名な観光洞を回った。午前中はボストイナ北西8kmにある、鍾乳洞の入口に城があるので有名なプレディー洞(写真4)に行った。オーストラリアからのケン・グリムス夫妻も一緒。ケン・グリムスはアイスランドでも一緒だった。彼はアイスランドを早く切り上げて、ボストイナの研究会は全行程参加したとのこと。
 プレディー洞は100mほどの絶壁の下部にあいた鍾乳洞の入り口に4階建ての城が建っている。1200年ごろには城があったというから相当古いものだ。絶壁と穴を巧みに利用した、まさに難攻不落の城と言って良い。しかも、背後の鍾乳洞を利用して地表に抜けるルートもあるようなので、城に閉じ込めておくのも難しそうである。
 城を一回りした後、プレディー洞のガイドコースに入った。城の下にある小さな洞口がガイドコースの入口だった。各自にバッテリーと懐中電灯が渡されてそれを装着。ショートカットのお嬢さん(最初は男性かと思った)が案内してくれた。ケイブマップがないのでどこをどう通ったか分からないが、最後は城の右手上の穴から出てきた。穴そのもはとりたてて素晴らしいところはなかった。鍾乳石の表面ももう乾いていた。
プラニンスカ洞(写真5) 午後はタクシーでプラニンスカ洞(写真5)に出かけた。プラニンスカ洞のガイドが子供連れで到着。他にもお客が7〜8人集まった。2人に1つぐらいの割合でバッテリーと懐中電灯が配られた。洞から流れ出す川に沿って10分ほど進むと、大きな洞口から緑色のきれいな川が流れ出していた。洞口は幅20m高さ15mぐらいか。
 内部はほぼ水平でずっと川に沿って進んだ。洞が大きく屈曲するあたりは落盤がひどく、川が一時的に見えなくなったが、その上部ではまた川が現れた。支洞に入ったところの川にボストイナ特有のプロテウスという洞窟魚がいた。長さ30cmぐらいで全身ピンク色だ。動きは緩慢だが、見ているとどんどん形が変わるので生きていることが分かる。
 奥に行くに従って歩道の崩壊が激しくなり、歩道が崩落したところを仮設の板で渡るところもあった。30分ほど入ったところで完全に道が崩れ、それより先は前進不能。ここで引き返す。全体に二次生成物も少なく見ごたえのある鍾乳石もない、じみな洞だった。事前に予約すれば5時間のボートツアーもあるとのこと。
ボストイナ鍾乳洞のトロッコ列車(写真6) 一旦ホテルに帰ってから午後6時の最終ガイドでボストイナ鍾乳洞に入った。この洞は長さ23kmと長いので、入口から15分ぐらい電車に乗る(写真6)。電車といっても屋根のないトロッコ列車だ。鍾乳石や洞壁を削って電車を通すための通路が作ってあった。しかも複線。削り方が、頭上or左右すれすれなので思わず頭を引っ込めたくなる箇所がたくさんあった。電車に乗っている範囲でも、かなり見事な鍾乳石があった。
 電車を下りたところは素晴らしい鍾乳石の殿堂。まず目に入ったのは写真撮影禁止の看板。ガイドの言語別に標識が立ち、自分の聞きたい言語のところに並ぶようになっていた。言語は4ヶ国語あった。マントを羽織ったガイドがそれぞれの客を案内して奥へ進んで行く。
 新しいホールに入る都度、その鍾乳石や石筍の美しさに圧倒される。天井から無数の純白のストローが下がっている部屋、見事な形の鍾乳石・石筍・石柱が林立する部屋が、これでもかこれでもかというほど次々に現れる。しかも各ホールともかなり大きい。この洞の売り物のソフトクリームという石筍は純白で形も良く見ごたえがあった。最後に訪れたシンフォニーホールは直径80m高さ50mで、ガイドが吹いた口笛が7秒間も反響していた。
 ボストイナ洞の入り口には水流が見られたのだが、40分ほどのガイドコースには水流はどこにも見られなかった。洞内図で見ると、中央部の一回りできるところを回ったらしい。その中央部に行くまでの通路を電車で移動したようだ。
 ホテルに帰りフロントでクリツナ洞と連絡が取れたか聞いてみたが、まだガイドの連絡先を知らせてこないとのこと。それでは明日のクリツナ洞行きは無理なので、スコシャン水系をたどってイタリアに行ってみることにした。

 9月23日(月)、曇りのち雨。
 朝、ホテルのフロントに行ったらクリツナ洞のガイドのミスターボッシュと連絡が取れ、明日7:30にホテルに迎えに来るとのこと。帰りはリュブリャーナ空港まで送ってくれるそうだ。もちろん送迎フィーは別に必要だろうが。
 浦田さんとレンタカーで出かけることにして、フロントにレンタカーの手配を頼んだ。最初は見つかりそうな雰囲気だったが結局みつからず、タクシーなら往復160ユーロで手配できるとのこと。1日貸切のタクシーではないようなので、これではギガンテ洞、デュイノの湧泉をゆっくり見られそうにない。タクシーをやめて列車で行くことにした。浦田さんはそれでは止めようかとかなり迷っていたが、結局一緒に行くことになった。
 11:30ごろの列車でセザンヌまで行った。ここからイタリアのギガンテ洞(英語ではgiantのこと。ギネスブックに載るほどの巨大なホールがある)までは8km足らずなのでタクシーで行くことにした。しかし駅前にタクシーはない。駅前にたまたまカジノの店があったので、そのフロントにタクシー呼んでくれと頼んだ。すぐ来るとのことなので待っていたら結局1時間も待たされた。しかも白タクらしい。屋根にタクシーの標識をつけていたが、運転席にメータはない。
 このタクシーが運の尽きで、英語が分からず、デュイノの湧泉も知らないことが乗ってから分かった。結局、デュイノ付近をあてどもなくさ迷っただけで終わり。近くの駅で下ろしてもらって、鉄道でトリエステ中央駅に行った。市内を見物してから国際列車でボストイナに戻った。ボストイナに19:00ごろ着き、何の収穫もない小旅行が終わった。無力感が漂う。

 9月24日(火)、雨。
 朝、フロントに寄ったら、「このところの雨でクリツナ洞内が増水し、今日のゴムボートツアーはできない」とボッシュから連絡してきたとのこと。残念無念。一番楽しみにしていたのに。しかたないので鉄道でスロベニアめぐりをすることにした。浦田さんはもう1日あるのでホテルに残った。
 駅で、一筆書きの奇妙なコースの切符を頼んだら「なんでこんなコースを通るのか」といぶかしがって切符を売ってくれない。「私は日本の鉄道員だ。貴国の鉄道を見たい」といったら、売ってくれそうな気配になったが、そばにいた男性駅員が「なぜ、終点がリュブリャーナ(首都)ではなく、こんな中間駅なのか」と聞いてきた。「今日の夕方の飛行機で日本に帰る。その駅が空港に一番近いので、そこからタクシーで行く」と答えたら、やっと納得して売ってくれた。
 石灰岩地帯の多いローカル線の景色を楽しんで、空港に一番近いクラニャ駅についたが駅前にタクシーが待っていない。駅構内のスナック兼バーのような店に頼んでタクシーを呼んでもらった。タクシーが来たので出て行ったら、運転手が自動車の屋根についている「TAXI」という表示を外して車内にしまいこんでいた。客の前で堂々と表示をはずすあたりがすごい。これも白タクかとうんざりしたが、こちらのほうは昨日より良心的だった。
 運転手はドイツ語で話しかけてきた。こちらは英語で対応した。でもなんとなく雰囲気で伝わるのか、空港までというと4000ストールとのこと。「ストールを持っているか」と言っているようなのでストール札を示したら安心していた。しかし10kmで4000ストールとは往復料金に相当する。
 17:00発の飛行機でフランクフルトへ。フランクフルト発20:30の飛行機で成田に向かった。シベリア上空でオーロラを楽しみにしていたのだが、とうとう見えなかった。

※追記
 ヨーロッパのどの空港でも入国審査のとき、係官が当方の顔をしげしげと見ながらパソコン画面をじっと覗き込み、何度も見比べていた。当方に良く似た人物が国際手配でもされていたのだろうか。なんとなく薄気味悪い。

(小堀 記)  

 

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