パイオニアケイビングクラブ(PCC)の活動 


 

大血川洞窟探索/大達原の不動穴/
神流川左岸の坑道穴探検ケイビング

 2001年12月23日(日)、埼玉県秩父郡大滝村(現秩父市)で大血川洞窟探索と大達原の不動穴及び神流川左岸の坑道穴での探検ケイビングを行う。参加者は芦田、小山の計2名。
 もともとの予定では白岩沢鍾乳洞に行く予定であった。しかし、大血川渓流釣り場を過ぎたあたりから林道に雪が残っていて、車で登坂するのが困難になっていった。過去、白岩沢に積雪があったときでも、林道にこれほどの積雪があったことはなかった。さらに山の上の方も真っ白だったため、白岩沢に行くことを断念することにした。
 というわけで、大血川本流沿いの石灰岩体で洞窟探索を行うことにした。まずは最初に大血川入り口付近にある旧石灰岩採掘場付近で林道から見える石灰岩壁直下の大洞口を調査することにした。ここには林道脇に大達原の将門穴と名付けた洞穴あるが、現在は檻が洞口にはまっていて入洞することができない。その穴の右側上方に大きな洞口が見えるのだが、これまで一度も調査したことがなかった。
 比較的高い位置にある洞穴だったが、洞口までの急斜面に作業道っぽいものがついていて思ったよりも簡単にたどり着くことができた。洞穴は入り口付近は天然洞のような雰囲気だったが、奥は15mほどで人工の坑道になっていた。その行き先には柵があるため、奥への入洞はできない。一応、「大達原の将門穴第二洞」と命名する。さらに山の上の方にある石灰岩の切り場にも行ってみたが、洞穴はなかった。
 次に大血川本流対岸にある石灰岩壁横の沢で水が湧いているところを確認したので、そこに行ってみることにした。しかし、湧水の出口は人が入洞できるような規模の穴ではなかった。さらに付近の石灰岩壁や露岩帯を探索したが、洞穴を見つけることはできなかった。車への戻りしなに大血川本流に近いところで、巨大な石灰岩が割れた構造洞を発見した。長さは10mほどでフローストーンなどが確認できたので、洞穴と認定し、「大血川左岸の抜け穴」と命名した。
 次に大血川本流沿いを下流に向かって移動することにした。河原には若干の残雪があったが、移動するのに困難なほどの量ではなかった。沢沿いにはところどころに石灰岩の母岩があり、激しく溶食された場所も確認できたが、残念ながら人の入れるような穴は見つからなかった。
 しばらく沢を下ると、左岸側から石灰岩が多量に落ちている場所があり、山の上の方に石灰岩壁を確認したので、そこの探索に向かった。しかし、この岩壁も激しく溶食されている場所はあったが、人間が入洞できるような洞穴はなかった。なお、岩壁下で涸れ沢が本流に合流する付近に湧水を確認したが、やはり人の入れる大きさではなかった。
 昼時になったので残雪の残る河原で食事をとっていたら、すっかり体が冷えてしまい、日陰の沢沿いで洞窟探索する気力が萎えてしまった。そこで大血川での探索を中止して、前回の活動で発見した神流川左岸の坑道穴へ行くことにした。
 その移動の途中、先に寄った大達原の将門穴付近の荒川対岸──国道140号線沿いにある岩壁も調査してみることにした。過去の経験から、谷沿いの岩壁に洞穴があった場合、谷をはさんだ対岸の同じ標高にも洞穴がある場合が多々あったからである。
 国道沿いの空きスペースに車を止めて、藪と落石防止ネットに覆われた岩壁を観察してみると、なんと、木陰に隠れた洞口とちょっと高い場所に開口する洞口っぽいものが確認できるではないか! 車が激しく往来する国道沿いに人に知られていないような洞穴があるはずはないと思いつつも急ぎ入洞準備をして落石防止ネットの下をくぐり、木陰に隠れた洞口に向かった。
 洞口下の木が生えている辺りは水が流れ落ちたような溶食形態になっており、ますます怪しい。木をかき分けて溶食された岩場を3mほど登ると、やはりそれは石灰洞の洞口だった。洞穴は右と左に短い支洞を持つ全長20mほどの規模だったが、左の支洞はディギングすれば若干延びる可能性がある。
 そして、信じられないことに、この洞穴には人の入った形跡がまったくなかった。足跡もなければ洞壁の汚れもなかった。さらにつらら石や石筍などの二次生成物も破壊されずに残っていた。
 次にその左手上方にある洞口っぽいところにチャレンジしてみることにした。こちらの岩壁はコンクリートで覆われていたが、なぜか道路より5mほど上に洞口っぽい穴が開いているのである。コンクリート壁とそれを覆う金網ネットの間をチムニーで強引によじ登り、その穴まで行ってみると、やはりここも石灰洞の洞口だった。
 こちらの洞穴も全長20mほどだったが、最初の洞穴同様、人が入っている形跡はなく、二次生成物が数多く残っていた。なお、こちらの洞穴ではコンクリート壁の洞口以外にコンクリートで覆われていない岩壁にもう1つ洞口を確認できたが、岩壁を覆う金網ネットにより出入りすることはできなかった。
 その後、国道に戻り、岩壁を丁寧に観察したところ、左手はるか上方に洞口っぽいものが確認できたが、そこに行くためには岩壁のてっぺんから懸垂降下する必要があり、交通量の多い国道140号線の真上でアタックするには無理がありそうだった。
 先に入洞した方を「大達原の不動穴第一洞」、その後に入洞した方を「大達原の不動穴第二洞」と命名し、さらに岩壁上方に確認できた洞口を一応「大達原の不動穴第三洞」と命名した。なお、名称の由来であるが、「奥秩父」(原全教/木耳社)よると、大血川入り口付近(大達原)の旧石灰岩採掘場の岩壁を「将門岩」、国道沿いのタワー状の石灰岩壁を「不動岩」ということなので、このような命名となった。
 思わぬ新発見で時間をとられてしまい、夕方近くになってしまったが、神流川左岸の坑道穴の場所は林道のすぐ近くなので、暗くなってもたどり着けるということで、予定どおり向かうことにした。
 案の定、神流川左岸の坑道穴の前の林道に到着したときには、すっかり日が暮れて真っ暗になっていた。急いで準備をして神流川の河原に下り、対岸に渡る。前回、埋め戻した洞口の土砂を再度取り除き、匍匐前進で入洞する。入り口の狭洞を抜けると、すぐに立てるようになるが、行き先の洞床は水面である。
 事前の打ち合わせで、とりあえず小山が靴と靴下を脱いでアタックし、洞穴が続くようなら芦田も後を追うということになっていた。さっそく、小山が靴と靴下を脱ぎ、つなぎ服の足回りをまくり上げ、水面に足を踏み入れる。洞床の泥は予想していたよりは深くなかったが、奥に進むにつれ水深が深くなり、最も深いところで膝上までになった。しかし、その後は徐々に浅くなり、水面がなくなりる。
 坑道はそのまましばらく続き、右側に小部屋状の空間があるところで、行き止まりとなる。この坑道の全長は直線に60mほどであった。結局、なんのためのものであるかはわからずじまいである。はたして、神流川に伝わる黄金伝説と関わりがあるものなのであろうか……。

(芦田 記)  

 

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