パイオニアケイビングクラブ(PCC)の活動 


 

五島列島熔岩洞調査ケイビングに参加

 2000年8月28日(月)〜30日(水)。平尾台で開催されたケイビングフェスティバルの後、富士山火山洞窟研究会の企画した五島列島の熔岩洞調査に参加した。PCCからの参加者は小堀と佐藤の2名であった。
 火山洞窟研究会の計画では8月22日から9月3日にかけて九州各地の火山洞窟を調査し、その途中でケイビングフェスティバルにも参加するものであった。我々はそのうち五島列島の部分に参加したものである。

 8月27日(日)、晴れ。
 熊本のワイルドバッツの東さん、吉村さん一行の車に便乗させてもらって、長崎に向かった。戸早学園を8:00に出発。同乗者は他に宮崎さん(火山洞窟研究会)、小堀、佐藤(PCC)の3名。
 小倉東インターから九州自動車道にのって長崎港に着いたのは11:30。ここで火山研究会の平野さん、鈴木さんの車と合流した。
 天気は上々。12:40発のフェリーで福江島の福江港に向かう。長崎港から外洋に出るにしたがって海の色が緑から青になり黒になった。外洋に出ると台風の影響か、うねりが大きくなった。船に驚いて飛び立つ飛魚を随所で見かけた。海面すれすれをかなり長時間飛んでいる。
 南方に高島炭坑の軍艦島も見えた。本当に軍艦の形をしている。戦時中アメリカの潜水艦が軍艦とまちがえて魚雷を発射したという話を聞いたことがあるが、さもありなんとうなづけるほどよく似ていた。
 途中、若松島の奈良尾港に寄って、福江には16:45に着いた。ここで火山洞窟研究会の小川先生と合流した。これで総計8名になった。
 ここからさらに、漁船で黄島(おおしま)に向かった。漁船のスピードはかなり速かった。フェリーに較べて目線が海面近くなのでますます早く感じる。波しぶきも遠慮なくかかってくる。途中で進行右手に、明日、洞窟探索する大板部(おおいたべ)島(無人島)が平たく見えた。
 30分ほどで黄島に着いた。小さな漁港のまわりに人家が50戸ほどある、直径1キロくらいの島だ。中央よりやや東寄りに92mの火口丘があり、その頂上に灯台が建っていた。今晩泊まるお寺さん(延命院)は港からすぐだった。

 8月28日(月)、晴れ。
 お寺の住職の案内で大板部島の熔岩洞探し。15年ほど前の記録によると、洞口は竪穴、その先に横穴が続き、最後は水没しているとのこと。プールの水はかすかに塩辛いが、かなり真水に近いそうだ。
 8:30、昨日の漁船で大島に向かう。風の方向を見て、大板部島には北岸から上陸することになった。まず、漁船を沖合い200mぐらいのところに泊め、錨を下ろした。後ろからついてきた別のモーターボートに4人ずつ乗り移り、磯に揚げてもらった。磯に近付くとかなり大きな波が泡立っていた。磯は熔岩が侵食されたゴツゴツの岩だった。
 モーターボートを操縦していた人は、ボートを一旦50mほど沖合いに移動させ錨を下ろしてから、泳いで渡ってきた。ボートを磯につけたままにしておくと、波にもてあそばれ、岩にぶつかって傷だらけになるからだそうだ。
 まず、海岸を200mほど西に移動し、そこから磯芝(3mほどの潅木で地元では磯芝と呼んでいるそうだ)のジャングルの中に入った。磯芝の下は日が差さないせいか、草はまばらだった。
 ナタ目をつけながら進む。ジャングルの中は風が吹きこまないので、むっとする暑さだ。真っ直ぐには進めないので右に左に折れる。また来たとしても、とてもルートは思い出せないだろう。とうとう反対側(南側)の海岸に出てしまった。ジャングルから開放されたのは嬉しかったが、ガックリきた。目の前に黄島が緑の端正な姿で浮かんでいた。
 南側の海岸(ここも磯浜で歩きにくい)を300mほど東に進んで、再度ジャングルに挑戦することになった。海岸を進んでいると磯芝の中からヤギの声が聞こえた。しかし、姿は現さなかった。人を警戒しているのかもしれない。以前、隣島の人が放したヤギが野生化したものだそうだ。
 今度は、足下も見えないようなひどい藪こぎ。そこを抜けて磯芝のジャングルに入ったところで、住職が「どうやら地形が似ている」というので、全員が5m間隔に並んで真っ直ぐ西の方角に進んだ。もっともお年寄り組はその場にへたりこんで動けなくなっている人もいた。当方も藪を掻き分け直進してみたが、その抵抗のキツイこと。50mぐらいの往復でギブアップ。2回目は藪の少ないところをねらってお茶を濁した。ここでは若者組が活躍。
 散開探索をしても見つからないので、昼食にすることにした。暑さと疲れで食べる元気もない。水筒の水ばかりが減る。
 食事後、散開探索をあきらめて全員一列になってジャングルの中を進んだ。今度もとうとう反対側の海岸(北側)に出てしまった。
 暑さに耐え兼ねて、ツナギを脱いで海に飛び込んだ。よい気持ちだ。波が荒いので岩に体をぶつけないよう注意して泳いだ。泳いだあと比較的滑らかな海岸にあがったら、熔岩原の中に直径5mほどの噴火口のようなものがあった。その真中に1mほどの岩がころがっていたので、ひょっとしたらポットホールかも知れない。しかしポットホールにしては、ふちがギザギザだった。
 その間に本隊は、またジャングルに挑戦していた。ツナギを着て後を追いかけた。100mほど西に移動したところからジャングルに入った。ここでも若者組が大活躍したが成果なし。もう16時を過ぎていたので、帰ることにした。一日中汗をかいていたので、宿で飲んだビールがうまかった。

 8月29日(火)、晴れ。
 今日は黄島の熔岩洞調査。島の周回道路を港と反対側(南側)まで車で行き、そこから熔岩の崖を20mほど下って、丈の穴(観音洞窟)に9:00到着。洞口は幅8m高さ4mぐらい。比較的直線に近い穴だ。入り口から100mほどで洞底の傾斜が30度ぐらいの熔岩の坂になった。このような熔岩洞はめずらしい。
 それを登りきると観音様が祭ってあった。その後ろは約10mで水没していた。水没と言っても浅い水溜りなので、穴自体もすぐに行き止まりだろう。もう一度洞口まで戻り、丈の穴の測量をした。鍾乳洞に較べて、凹凸屈曲は少ないので、測量も早い。熔岩洞で見落としに注意しなければならないのは天井のガス溜りの穴だそうだ。10:30には測量終了。
 次は、丈の穴の約200m東にあるウンナシの穴に向かった。20〜30mある熔岩の崖下に転がる大きな崩落熔岩の間を縫って進む。あまり海側に寄ると大きな波しぶきを頭からかぶるので、できるだけ崖の直下を進む。歩きにくいことおびただしい。
 ウンナシの穴の手前には小さな熔岩流の岬があり、波が打ち寄せて通過がむずかしそうだった。寺の住職も「この波では通過できないかも」と言っていたところだ。
 幸い、その岬には上方に穴が開いており、そこまでよじ登れば、波にさらわれずに通過できることがわかった。その穴を通りぬけて岬を通過した。反対側に出たが、下るところが少々ヤバかった。ややオーバーハングになっていたが、熔岩なので手がかりは沢山あり、難なく下りられた。
 下りたところにウンナシの穴があった。洞口は高さ5m、幅10mぐらい。灰色の熔岩層が幾重にも重なったところを貫くように開いていた。洞底は50cmぐらいの岩がごろごろしていた。どれも丸みを帯びたていたので、天井が崩落したというより、大波で海岸の岩が打ち寄せられたのだろう。
 ここは測量しなかったが、洞口から15mくらいで左に曲がり、さらに20mくらいで右に曲がっていた。全長50mくらいか。洞口付近には奥に向かって右手にのみ熔岩棚があり、最奥部の天井にはガス溜りの穴が開いていた。人間の頭がやっと入るくらいの小さな穴の奥に大きな三角形のガス溜りが形成されていた。洞窟内から見た海の青さと飛び散る波しぶきの白さは格別だった。
 12:00に出洞。また歩きにくい海岸線を丈の穴まで戻り、崖を登って車道に出た。宿のお寺には13:30に着いた。暑かった。
 15:30の連絡船で福江に向かった。台風12号が近付いているので、フェリーが欠航しないうちに帰りたいという人が多く、小川先生と小堀の2人だけが残った。
 明日は井穴に行く予定なので、レンタカーを借りた。約30分で富江についつた。民宿に荷物を置くと、すぐ富江町立の温泉センターに出かけた。ふるさと創生資金で掘り当てた温泉だそうだ。なんの取り得えもないつまらない温泉だった。
 夜は、食事時間も、部屋に帰ってからも、布団に入ってからも、火山洞窟の話が延々と続いた。小川先生の話は実におもしろい。富士山の噴火活動を研究するのに平安時代の延喜式まで登場してきた。その逆に、富士山麓の熔岩流の形態から延喜式の記述内容の意味を解釈しているところもあった。

 8月30日(水)、うす晴れ。
 民宿を8:30に出発。穴の位置を詳しく聞くため、教育委員会に寄ってみたが、適当な資料が見つからなかった。内心では案内してくれるのではないかと期待していたのだが。
 10:30、井穴到着。井穴の入り口は看板が出ていたので、すぐわかった。入り口は井穴ケイブシステムの途中の天井が崩落したところで、階段で降りるようになっていた。北方向と南方向に洞口が開いていた。北方向の入り口は「通り抜け井穴」といい、約80mほどの照明もついた観光洞になっていた。
 通り抜け井穴が終わり、短い開口部を挟んで、野穴が続いていた。ここから先は真っ暗で遊歩道もない。元は1本の熔岩洞だったところが天井が崩落して2つの洞窟に分かれたところだ。洞窟断面は通り抜け井穴と同じで、ゆるく屈曲しながら約400m続いていた。ただ、天井の崩落が多く、それが洞底に積もっているので歩きにくかった。小川先生から熔岩棚やガス溜りの説明を聞きながら進んだ。
 野穴の終点の開口部も天井が崩落したところで、雑草や樹木の生い茂った溝が先に続いていた。無理してこれを掻き分けて行けば先にも洞口があるだろう。今回は2人だけのこともあり、ここで諦めて、地上に出た。雑草の生い茂った中を5分ほど掻き分けて道路に出た。
 道路をたどって通り抜け井穴の入り口に戻り、今度は、南方の先不知井穴(さきしらず井穴)に入った。13:00入洞開始。こちらも洞窟断面の規模は同じ。高速道路のトンネル(片側車線)ほどの大きさはある。天井の崩落は少なく、床には熔岩の流れたあとが顕著に残っていた。この穴は300mほどあるはずだが、200mぐらいでプールになり、先に進めなくなった。
 洞口に戻り、泥だらけの靴を丁寧に洗って、14:30に車で福江に向かった。福江のパンフレットを見たら、ここにも「ねぷた祭り」があるそうだ。青森と五島列島では離れ過ぎているが、どうしてだろう。夕方の飛行機で福岡へ、壱岐の島近くの上空を飛ぶとは思わなかった。福岡から羽田へ。その間もずっと小川先生から火山洞窟の話を聞いた。雲仙普賢岳の噴火で火山洞窟がいくつか埋没してしまったそうだ。

(小堀 記)  

 

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