パイオニアケイビングクラブ(PCC)の活動 


 

立処山洞窟探索/矢弓沢洞体験/練習ケイビング

 2000年1月29日(土)、晴れ。群馬県多野郡中里村の立処山西面で第2次洞窟探索を行う。また、群馬県多野郡上野村の矢弓沢洞で体験ケイビングをNTC洞窟探検隊と合同で行う。参加者はPCCより芦田、内山、星野の3名、NTC洞窟探検隊より藤井氏、体験ケイビング参加者として坂氏、杉本氏、田村氏、早間氏、福島氏の5名の計9名。
 芦田と星野の2名は他のメンバーより2時間早めに出発して、立処山西面に9:00に到着した。さっそく着替え、まず沢沿いを探索した。車を停めた場所から少し下流の右岸側に林道工事により埋まったのではないかと思われる洞口を確認したが、入洞することはできなかった。付近の沢には大量の石灰岩が転がっていたが、下流には石灰岩の母岩が見あたらず、石灰岩の転石もなくなったため、立処山西面に移動することにした。
 顕著な石灰岩壁は見あたらないが、小さな石灰岩の路頭がいくつもあった。その中の1つに明らかに溶食で開いたと思われる丸い洞口を発見した。暖かい気流も出ていたが、穴の直径が20cm以下で入洞することはできなかった。少し斜面を登ると、高さ5mほどの石灰岩壁があり、溶食だけでなく、二次生成物などで、鍾乳洞の中の洞壁のようになっていた。しかし、入洞可能な洞窟はなかった。
 さらに斜面を登っていくと、下流方面に大きな岩壁が現れたが、やはり洞窟はなかった。岩壁の左側から尾根沿いに上に登り、しばらく行くと、真っ白な石灰岩壁が現れた。その岩壁下を上流方面に向かって移動していくと、壁が途切れた付近で斜面が緩やかになり、竪穴がありそうな雰囲気になる。そのまま緩斜面を立処山の頂上に向かって登っていくと、大きな石灰岩の露岩があり、3mほどの残像洞があった。洞内には風化した石柱などの二次生成物が少しだけあった。一応、「立処山西面の残り穴」と命名した。
 時間がなくなってきたため、立処山の北面側を少しだけ探査して、尾根沿いに西斜面を下り始めた。途中、尾根直下に横穴を縦に切ったような残像洞があった。10mほどにわたり、縦断面を見るような感じの残像洞が続いていた。車に11:00に戻り、着替えずに矢弓沢洞に移動することにした。
 一方、11:00にビラせせらぎに集合した体験ケイビング班も車を統合して、矢弓沢洞に移動を開始した。矢弓沢洞で洞窟探索班と体験ケイビング班は合流する予定だったが、途中のガソリンスタンドで無事に合流することができた。そのまま路面に雪が残る林道を矢弓沢洞まで車で移動した。車のそばで入洞準備をして、昼食のため、矢弓沢洞の上の洞口まであがった。
 12:30、上の洞口から入洞を開始する。入ってすぐ斜洞を下り、洞窟中央のホールに移動すると、氷のつららが多数あり、寒々しい感じだったが、半時計周りに回っていき、さらに奥に入ると、暖かくなり、冬眠中のこうもりが数十匹もいて、気をつけないと、つかんでしまいそうなぐらいだった。洞床は泥がけっこうあるものの乾燥していて、初心者でも楽に見学でた。
 右に向かう支洞の下層に、さらに最下層に向かう洞があり、一番下まで降りてみると、少ないながらも水流があった。そこには日大探検部の1968年のプレートがあった。そのころの大学探検部は矢弓沢洞の存在を知っていたようである。その後、1度下の洞口から出て休憩し、再度、下の洞口から入ってすぐにある竪穴から下層部まで降り、同じルートで15:30に出洞した。
 出洞後、矢弓沢洞の上の洞口となりの矢弓沢洞右の穴に入洞した。幅は広いが匍匐前進する洞口に、人数が連なりすぎて、後ろのほうの人はバックするはめになる。結局、最奥部の鍾乳石ホールまではたどり着けなかった。
 その後、矢弓沢洞のある岩峰で軽く洞窟探索を行う。岩峰の頂上直下に5mほどの横穴を確認した。一応、「矢弓沢洞上の抜け穴」と命名する。さらに岩峰を巻くようにして登ると、かなり高い山の山頂に立ったような景色が眺めらた。
 17:00に現地を出発し、いきいきセンターで100円を払って風呂に入り、泥を落すと、すっかりくつろいでしまい、帰る時刻を忘れてしまいそうだった。その後、全員で高麗のアンティーク系のレストランに立寄り、夕食をとって解散した。

(芦田 記)  

 

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