パイオニアケイビングクラブ(PCC)の活動 


  

水無鍾乳洞練習ケイビング
 1999年11月7日(日)、福岡県前原市の水無鍾乳洞で練習ケイビングを行った。この練習ケイビングは、福岡県在住の水島明夫氏に依頼して実施したものである。参加者は、PCCから小堀、カマネコから水島明夫氏、水島氏の長男の森(しん)君、小学6年生。
 当日、9:00に南福岡駅前に集合。水島氏の車で現地へ。福岡市郊外の住宅地を約1時間走って水無洞の第1洞口前の駐車場についた。空は真っ青の日本晴れ。地元の中高年登山グループの一団が、出発前のミーティングを開いていた。早速着替え。ツナギに身を包むと、森君は高校生と間違えるくらい立派なケイバーだ。
 まず、洞口前を流れる小さな沢で周辺の地質について水島氏より説明があった。ビニールシートに入れた洞窟測量図も渡された。こういう基礎知識を聞いておくと、穴が非常に身近なものになり、記憶にも残るものだ。
 見ている目の前で、女の子2人を連れたお父さんが、ヘルメット無しで、手持ちの懐中電灯1本で入ろうとしているので、水島さんがあわてて止めていた。大都市に近いとこういう入洞者が跡を絶たないようだ。
 水島さんの話によると、数年前も、滝ホールで懐中電灯をなくした若者3人連れが助けを求めていたとのこと。手持ちの懐中電灯1本で3人入洞し、途中で谷底に懐中電灯を落としてしまったので、あとは真っ暗闇を手探りで進んだが、滝ホールでいよいよ動きが取れなくなっていたそうだ。ヘルメットもかぶっていないため、頭部は傷だらけ、血だらけだったそうだ。どやしつけながらも、第2洞口まで案内してやって、事無きを得たそうだ。
 10:40、入洞開始。入洞してしばらくの間は、中腰または匍匐で進むような狭い通路が、複雑に曲がりくねって続いている。岩角も鋭角にとがっているので膝あてが必要。水島氏は最近太ったとのことで、狭洞部分は森君を先に進ませ、通過できるかどうか確認していた。森君も心得たもので、次々と狭洞にアタックしていた。水島さんが手袋をはめずにケイビングをやる主義だとは知らなかった。こんな岩角に手をついて痛くないのかな。
 進行方向左側の頁岩の地山と石灰岩帯との境界が溶食されてできた穴だという説明を受ける。なるほど、頁岩の大きな壁が露出している。ここで中層に登り、最奥部までつめてから、滝ホールに向かう。滝は、水量は少なかったが、傾斜50度くらいの斜面を、15mほどの滝が一気に下っている、なかなか見ごたえのあるものだった。どこかのアドベンチャー企画会社の一行が残したらしい、到達記念看板が麗々しく設置してあるのが玉に傷だ。
 滝の左側を登って、千畳敷に出た。ここも大きなホールだ。ここまでくると第2洞口から入ったほうが近いとのこと。千畳敷のホールの洞底は大きくすり鉢状にへこみ、崩落した岩が累々と積もっていた。
 ここから奥の院に向かい、ペンダントを見学。内間木洞のペンダントは石灰岩に混じった頁岩が溶け残ったものだが、ここのペンダントは石灰岩が溶け残ったもので、よく観察しないとペンダントか、鍾乳石か判断がむずかしい。天井にミミズが這いずったような細い溝が密集していた。岐阜県の縄文洞でも見かけて不思議に思ったやつだ。水島さんに聞いたら、鍾乳洞になる前の段階で、しみ込んだ水が、どちらに流路を見つけようかと悩んだ跡とのこと。
 千畳敷に戻って第2洞口に向かう。ここで、森君がヘッドランプの電池を入れ替えるとき、取り出した電池を間違って新品の電池が入っている箱に入れてしまい、どれが新しい電池か分からなくなってしまった。森君が途方にくれていたら、水島さんが「電池を触ってみろ、温かい方が古いやつだ」と教えていた。なるほど、さすが理科の先生だ。
 第2洞口への通路は、縦断面図によると、滝が後退してできた深いゴルジュの上を歩いてゆくはずなので、足元を注意してみていたが、結局わからないまま出口に達してしまった。14:00出洞。ツナギにけっこう泥がついていたが、昨日の風神鍾乳洞に比べると乾いているようなもの。空の青さと黄色く色づいた木の葉がきれいだった。
 帰りは沢沿いに10分ほど下って第1洞口の前に着いた。沢の上流の方は両岸とも石灰岩だが、下流の方は右岸側だけだった。沢でツナギを洗い、着替えて、15:15帰途についた。

(小堀 記)  

 

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