パイオニアケイビングクラブ(PCC)の活動 


 

カナダ洞窟調査ケイビング

 1995年8月30日(水)〜9月11日(月)、カナダへ洞窟調査遠征を行ないました。参加メンバーは4名で、僕(山西)と地球クラブ(WEC)の近藤さん他2名が参加しました。また、現地でカナダのケイバーと合流し、協力して探検を行ないました。
 今回の遠征は、名古屋在住の地球クラブに所属するカナダ人ケイバー、ブライアン・マックニールの友人であるイアン・マッケンジーの招待で行なわれたものです。遠征の目的は、イアンが1985年に発見し調査を続けてきたカナダ・ブリティッシュ・コロンビア州プリンス・ジョージ市から北東に約200Kmのロッキー山脈の真っ只中、デザイコ山系の標高約1700mの山頂近くにある"Close to the edge"という名の洞窟の探検・測量調査でした。この穴は大きく三つの部分に分けることができ、洞口から一気に−244m落ちる大きなシャフト部とその底から何段にもわたって落ち込む連続するシャフト部と再下層で細く横に伸びる横穴部から成り立っています。
 イアンは最初のメインシャフトの底から続く−55mの竪穴の底で通路が狭まっていたため前進を阻まれていましたが、去年の9月に入洞したアメリカ隊によって火薬によるディギングで突破され、−430mの最奥部まで通路は確認されていました。今回、我々はアメリカ隊が突破した狭洞部から先の測量と写真撮影と未探検の支洞の調査を目的にしていました。
 活動結果は目標を完全には達成することはできず、後悔の残る結果となってしまいました。原因は−244mものロングピッチの経験が乏しく、最初のメインシャフトのリギングその他で時間を取られてしまい、日程の余裕がなくなったこと。洞内気温が1℃でなおかつメインシャフトの昇降中に水を浴びるという厳しい環境下で体力の消耗が激しかったこと等が上げられます。
 日程的には我々の方にはまだ余裕はあったのですが、カナダ人ケイバーのサポートなしでは、装備の量、行程の長さなどで入山、下山さえ困難だという厳しいアプローチのため、全面的にカナダ人ケイバーにアプローチの面で頼ることになり、彼らの日程を優先せざるを得ないとという事情もありました。
 結局、最奥部までのアタックは最終日の2日前に僕と呉の2人だけが1回だけ行なったのにとどまり、おまけに、その時に持っていくロープをけちった為、最終の21mピッチを降りることができず、手前までの測量しかできませんでした。支洞の探検もそこそこに手早く測量を済ませて戻っても結局18時間くらい掛かってしまい、翌日はメインシャフトの撤収をする時間しか残っていませんでした。
 洞内の活動で、印象に残ったことを挙げてみますと、まず、第一に−244mのロングピッチのメインシャフトが挙げられます。ピッチとしてはシャフトのほぼ中間地点のテラスで1度リビレイをとるため上下各約120mのピッチに分けられます。
 洞口の直径はかなり大きく30m位あると思われ、日の明かりは洞内にたっぷり差し込んでいるのですが、底を見ても洞床は遥か下方で、霧でもやっており見ることはできません。こんなに高度感のある竪穴は経験がなく、最初のリギングにはいやでも慎重にならざるをえなくなり時間がかかってしまいました。
 永遠に続くかと思われるほど長い時間をかけて−127mの最初のテラスに降りたったのが2時間後位だったと思います。第2降下者をテラスで待っている間に1℃の洞内気温により、みるみる体温が奪われていきます。おまけに遥か上方から落ちてくる小滝が小雨状になってテラスに降りかかり風も舞って体温の低下に拍車をかけます。
 思えばこの劣悪な環境が、ほれぼれするくらい見事なシャフトの印象を悪くしたようです。もう少し気温が高ければ、この素晴らしいシャフトの昇降をもっと楽しめたと思います。
 降下にはラックとストップを使いました。ラックでの降下は快適だったのですが、不本意ながら1度だけストップを使わざるをえなくなったのですが、降下のスピード調整には気を遣わされましたが、発熱に関しては洞内気温の低さも影響したと思いますが、意外なほど発熱量は少なかったです。
 登りは新兵器ペッツルのポンプが威力を発揮しました。ショートピッチでは若干遅いかもしれませんが、ロングピッチでは威力絶大です。僕の場合でロープバック1個の軽装で、慣れてくると100mを30分位のペースで無理なく登れます。リビレイの通過等を含めた127mのピッチでは1時間弱くらいでした。これがあれば何百メートルでも連続でいけるなと思わせてくれるくらい快調でした。
 他に印象に残ったのは、アメリカ隊がディギングした狭洞でしょうか。かなり狭いところで、おまけにホールの天井部にあるため、ロープを通してSRTのギヤを装着したまま通過するのでしんどいです。近藤さんでは通らなかったかも知れません。
 ここで荷揚げ用のセッティングにロープを消費してしまったのが、後のロープ不足を招いてしまったのでした。ここは風も強く濡れた身体に1℃の冷風はこたえました。こんな底まで火薬を持ってきてディギングしてしまうアメリカ人のパワーには尊敬してしまいます。彼らのような執念を僕も持ちたいものです。
 今回の遠征では前年に入洞したアメリカ隊のパワーを随所で見せつけられました。ほんとにすごいです。リギングなどでは?と思われるような場所にボルトを打っていたり、リビレイなしでロープずりずりしてしまうような、ずぼらなところも見受けられ、最初の頃はなんていい加減なんだと思っていましたが、何度も入洞する間に、彼らの合理性も理解できました。どこまで続くかわからない新洞の調査で必要な、いかに素早くセットして安全に通過するかという、リギングにおける安全性と時間の短縮についての絶妙なバランスなのです。彼らは意識しないで行なっていたのかもしれませんが、僕は感心してしまいました。
 まだまだ、感心したところはありました。デザイコ山系は全山石灰岩なのですが、何年もかけてほとんど全山歩き回って洞窟探しを行なったらしいのです。アプローチの悪いロッキーの真ん中で、よくやるなあと思うと同時に、洞窟探しをメイン活動にしているPCCに所属する身としては、我々も負けらんわいとの思いを新たにしたのです。あの秩父でさえ未調査の石灰岩はまだまだあります。アプローチの困難さなんて彼らに比べたら、ないに等しいです。せっせと通わねば。
 今回の遠征では洞窟に感心したのはさておき、ワールドクラスのケイバーのパワーを垣間見ることができたのがいい経験になりました。技術的にどうのこうのと言うよりも、彼らの精神的パワー、洞窟にかける執念がすごいのです。やはりケイバーと名乗るからには彼らのような執念を持ちたいと決意を新たにしたのでした(ちょっとおおげさ^^;)
 最後になりましたが、"Close to the edge"はあまり奇麗ではありませんでした。2次生成物はほとんどなく、硬軟の層が交互に積み重なっている層状の石灰岩という岩質のせいなのでしょうか。まるで落木のような瓦礫が最奥部の横穴の床にはいっぱい転がっており、きれいではありませんでしたが、興味深いものでした。そうそう、砂も多かったのです。もう長いこと横穴は増水したことがないようです。両側の壁の層状に侵食された棚の上にはたっぷりとさらさらの砂が堆積しておりました。

(山西 記)  

 

『1995年の活動』に戻る

 

活動に関するご質問は、ここをクリックしてください。

pccmail@egroups.co.jp