パイオニアケイビングクラブ(PCC)の活動 


 

富山岐阜県境地域洞窟探索予備調査

 1995年5月2日(火)〜6日(土)、富山県婦負郡八尾町東礪波郡平村利賀村岐阜県大野郡白川村吉城郡河合村宮川村付近で洞窟探索予備調査を行う。参加者は芦田、野中、濱田の3名。
 今回洞窟探索を行う地域は地質図によると大規模な石灰岩地帯が広がっているが、ケイバーによる調査はまったく行われていないようである。また、豪雪地帯であるので雪解け水による浸食で、大規模な石灰洞が形成されている可能性が高い。PCCでは以前より、この地域で行う洞窟探索を『Gプロジェクト』と呼称して、情報を収集してきたが、ある程度の情報が集まったので、今回、このGWに決行することになった。
 2日の22:30に濱田が秩父の野中宅に到着。23:00に秩父を出発、3日の1:00に芦田邸に到着。1:30に芦田邸を出発。関越道、北陸道経由で8:30頃、福光インターに到着。
 まず、平村にある『天柱石』を見に行く。ガイドブックによると、石灰岩のタワーらしい。だが、行ってみると残念なことに石灰岩ではなかった。ガイドブックの誤記のようである。しかし、ここで『こごみ』なる山菜を地元のおばさんに山ほどもらう。また平村名物の『固い豆腐』を買う。
 すぐさま白川村に行き、林道牛首線に入る。白川村の観光課長の話では牛首集落(今は誰も住んでない)の上流が石灰岩と言うことであったが、林道のところどころに石灰石の転石があるが、石灰岩帯の露頭が見つからない。しかたなく、水穴があるという天生峠方面に向かうが、雪のため、道路が通行止めで、まったく近づけない!
 この後、河合村に移動するが、天生峠が通行できないため、南に大きく迂回し、移動に相当時間がとられる。河合村の月ケ瀬林道に入り、探索を行うが、多数の大理石の転石と湧出口を確認するのみ。夜になったため、林道脇の空き地でテント泊。
 4日の朝、テントを撤収し、林道から国道に出ようとすると、その出口に、前日にはなかった鎖が張られている! そのうえ、しっかり鍵までかけられている!! しかたなく、芦田が徒歩で月ケ瀬集落まで歩いていき、ゲートの管理者を探す。1軒目は留守。2軒目も留守。村中で、どこかに出かけているのだろうか? と思い始めた頃、3軒目におじいさんがいた。なんと幸運なことに、この人が月ヶ瀬の区長さんで、ゲートの管理者だった。事情を話し、鍵を借りる。ついでにヒヤリングをすると、月ヶ瀬林道に冷気が出ている小さな穴があるとのこと。
 午前中、その穴を探しまわるが、見つけることができない。そのとき、山菜採り帰りのおばさんに出会い、案内してもらうことができた。だが、やはり、ない! どうやら林道を車が通れるように拡張した際、埋めてしまったらしい。
 午後から河合村役場で紹介してもらった情報提供者のところへ行き、天生峠へ通じる道の途中にある「あやしい場所」へ案内を乞うが、なんと区長の許可がいるとのこと。さっそく区長に頼みに行くと、集落全員の共有の山だから、自分の一存じゃ決められない。次の寄り合いで相談しておくとのこと。
 野中曰く「なんか勘違いしてませんか……」どうも、重機を持ちこんで山を崩して、新洞を探すと思われた気配がある。彼らが10年前に行った洞窟探しとはそういうものだったらしい。ともかく、夏以降、案内してくれるようお願いして、今回はあきらめる。
 とりあえず、いくつか沢に入ってみるが、石灰岩の転石は多量にあるのだが、肝心の母岩が見つからない。沢の転石も上流から流れてきたというより水の流れで河床から露出してきたという感じだった。
 夕方に2人目の情報提供者に電話して翌日の予定を打ち合せしようとしたところ、道路が雪崩で行けないとのこと。やはり夏以降の案内をお願いする。しかたがないので宮川村へ移動し、営業していないキャンプ場の、水場の屋根の下でテントを張る。すぐに雨になるが、屋根の下だったので快適だった。
 5日は『日本列島洞窟ガイド』(コロナ社刊)に載っている宮川村のニコイ鍾乳洞に行く。流入型の洞窟で全長60mとなっているが、けっこう複雑に入り組んでいて、秩父の仏石山鍾乳洞より長そうな感じがした。結晶質石灰岩(大理石)で二次生成物というより溶け残しが純白で美しい。
 沢の対岸でも2本の小穴を発見するものの、数mで激しい水流の流入となり、入洞することができなくなる。その流入口から30mほど下流で、沢は落差120mの滝になっている。もしかして、滝の下に流出口を発見できれば、すごい縦穴になるのでは! 芦田と濱田の2人で探索するが、発見できなかった。もう少し水の少ない時期に、沢の水をすべて穴に流しこむ作業をすれば、発見できるかもしれない。
 この後、ニコイ鍾乳洞近くのミズバショウの湿原を見学してから八尾町に移動するが、やはり雪で道が通行止めで、北に大きく迂回しなければならず、時間を大幅にロスする。八尾町の石灰岩地帯では石灰岩がまったく確認できなかった。今回、利用している地質図があまりあてにならないことがわかった。
 しかたがなく、隣の利賀村に移動する。そして、夕方、温泉に入る。ふれ合いの森という所で野鳥を観察する建物があり、水道、トイレ、テーブル、椅子完備、おまけに三畳の仮眠室があったので、そこに勝手(一応、断ろとしたが、管理事務所が留守だった)に泊まる。しかし、キャンプが日に日に贅沢になっていく……。
 この日の夕方、通りがかりの人に洞窟情報を聞くことができた。水無の集落に水の湧いている沢があるとのこと。また、北の山で10年前、鍾乳洞が発見されたとのことだった。
 6日、朝から利賀村の水無集落へ行く予定だったが、ここも道が雪で通行止め。工事事務所で、どうやって行けばいいか聞くと、現在、人は住んでおらず、冬季(なんと11月〜5月が冬季!)は閉鎖されて行くことができないとのこと。ダムの管理者はヘリで通っているとのこと。いろいろと悩んだ末、白川村に戻り、最初に入った林道牛首線経由で行くことにする。しかし、峠のピークまであと300mくらいのところで、雪が現れ、車で峠を越えることができなかった。標高900m以上になると積雪が残っているらしい。雪の中、残念の写真撮影をして、引き返す。
 利賀村の北の山の鍾乳洞調査には時間が中途半端だったので、合掌造りの家などを観光し、予定を少し早めて、11:00頃出発して帰路につく。少し渋滞はあったものの、20:00前に秩父到着し、解散した。
 結局、今回の合宿で入洞できた洞窟はニコイ鍾乳洞だけだった。敗因は、なんと言っても雪であった。どこに行くにも雪が通行を阻んでいた。この地域は夏か秋しか調査できないということである。さらに地質図の石灰岩地帯が必ずしも石灰岩帯ではないということもある。地質図では石灰岩の転石が大量に転がっているだけでも石灰岩地帯になっているようである。ただ、これは現地を見るしか方法がないので、今回のように石灰岩体が見つからなくてもしかたがない気はしている。
 といわけで、今回の合宿の教訓を活かして、夏か秋の3連休に1日有給をつけて、『G2プロジェクト』を企画したいと思う。

(芦田 記)  

 

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