パイオニアケイビングクラブ(PCC)の活動 


 

奥秩父洞窟探索

 1986年5月3日(土)〜5日(月)。雨のち曇りのち晴れ。埼玉県秩父郡大滝村(現秩父市)の大洞川流域及び中津川流域で第1次洞窟探索を行う。参加者は芦田、白幡、深田、小谷野(4日のみ)の4名。
 初日は雨天のため、車で大洞川流域と中津川流域を移動し、全体的な地形調査のみを行った。まず、午前中に回った大洞川流域であるが、予想に反して、石灰岩帯の分布が意外に少ないことが判明した。特に上流では石灰岩の露岩がほとんど見られない。ただし、中流右岸側の大聖沢(白岩山北西部)の上流部には大規模な石灰岩峰を確認することができた。
 午後からは中津川流域へ移動した。中津川沿いに行くと、まず中津仙峡内に小規模な石灰岩体が認められた。ここには仏石山鍾乳洞(全長約115m)もあるので、機会があれば本格的に調査してみたいと思う。
 次に中津川支流の神流川を上流へ向かうと、すぐに小規模な石灰岩体が認められた。その付近には2〜3の洞口らしきものも視認できた。とくに左岸の川床面にあるものは洞口が高さ4m、幅20mあり、その奥は約50m程行くと、別の洞口に出る。つまり、この洞窟は川の蛇行部分の内側尾根に形成された貫通洞なのである。これほど目立つ洞窟が今まで知られていないはずはないが、洞窟関係の資料には一切ないので、とりあえず『中津川支流神流川貫通洞』と命名した。さらに上流右岸の山の上には大規模な石灰岩峰を視認することができた。
 2日目は天候が回復したので、前日に確認した大聖沢の石灰岩峰で洞窟探索を行った。しかし、大規模かつ多段に積み重なった石灰岩峰にもかかわらず、洞窟はまったく発見することができなかった。しかし、石灰岩壁の下で転落死したと思われるシカの遺体を発見した。なお、石灰岩体に溶食形態は確認できた。
 3日目は晴天に恵まれ、今回の洞窟探索の大本命である中津川流域の最上流部にある大ガマタ沢に向かった。明大地底研が過去に行ったヒヤリング調査によると、大ガマタ沢源流には水穴があるらしい。水穴に関しては未確認情報であったが、大ガマタ沢源流付近には南北に500mという規模の大きな石灰岩帯があるという別資料がある。また、その付近には十文字鍾乳洞(全長約100m)や雲海鍾乳洞群なども知られている。そこで、今回、車を利用して本格的な洞窟探索を試みることにした。
 中津川林道は途中から未舗装となり、けっこうな悪路となる。そして、大ガマタ沢の奥の方まで見えるところにくると、その源流に巨大な石灰岩峰を遠望することができた。やはり、大ガマタ沢の源流は石灰岩地帯だったのである。大ガマタ沢出合いを通り過ぎ、そのまま中津川林道を奥秩父林道が分岐する地点まで登っていく。奥秩父林道が大ガマタ沢の上流の方へ続いていたからである。ところが、林道入口は鎖で閉鎖されていた。そこで車を降り、徒歩で源流に向かうことにした。
 奥秩父林道は、あちこちで路肩や山側の壁が崩れていて、たとえ鎖がなくても車が通行することは不可能であった。約40分ほどで大ガマタ沢の源流付近に到着した。林道の山側は石灰岩の切り通しで、一応、洞窟探索を行ったが、とくに洞窟らしきものは確認できなかった。
大ガマタ沢源流 林道下から始まる石灰岩壁沿いに移動し、ガレ沢を1つ越え、しばらく行くと大ガマタ沢源流に到達した。そこの右岸側の石灰岩壁下には2つの流出口があり、それより上流は急斜面の石灰岩の涸れ沢となっていた。2つ流出口のうち、下流側は1mほど入洞可能だが、その先は狭くて入洞不能になる。上流側はまったく問題外。ただの湧出口である。
 流出口の真上にあたる岩壁には窪みがあり、洞口が確認できた。さっそく、窪みまで登って入洞してみると、約20mほどの横穴でガレ場の小ホールで終わっている。ディギングすれば、伸びる可能性があるかもしれない。一応、『大ガマタ沢のガレ穴』と命名。
匍匐前進で入洞できる洞口 さらに流出口に向かい合う左岸側の崖のテラスで、深田が怪しい場所を見つけた。洞口は存在しないのだが、岩壁下のガレ石のすき間から冷気が流れ出ていたのである。ディギングしてみると、意外と簡単に匍匐前進で入洞できる洞口が開口した。
 狭い洞口に比べ、洞内は意外と広く、中腰での移動が可能であった。そして、探検の結果、この新洞窟は全長約100mほどの横穴型鍾乳洞であることが判明した。洞壁の結晶などの反射によって、キャップライトの明かりが空中に幻想的な光の玉を浮かび上がらせることから、この新洞窟を『大ガマタ沢・光岩洞』と命名した。
 この日、3本目の新洞窟は流出口より20mほど涸れ沢を登ったところの右岸の岩場で白幡が見つけた。この洞口も発見した時は、土砂でほとんど埋没していたが、わずかに開いたすき間(一辺10cmほどの三角形)から芦田が奥をのぞいたところ、行き先が続いているように見えたため、ディギングをすることにした。
落ち葉まじりの土砂を掘り出して、洞床を下げ、上半身が入るようにした まず、落ち葉まじりの土砂を掘り出して、洞床を下げ、上半身が入るようにした。その状態で奥を確認すると、やはり続いているようであった。そこで今度はハンマー、タガネを取り出し、両側や天井から出っぱっている岩角を削った。ある程度、ディギングが進んだところで、最初に芦田が入洞にチャレンジした。10分ほどの悪戦苦闘の末、やっと洞口の狭洞部を抜けると、もうそこは立って歩ける通路が奥に向かって続いていた。雰囲気的には100m以上はありそうであった。
 芦田は洞外の2人に奥が続いていることを告げ、洞内からハンマー、タガネで洞口部のディギングを行い、とりあえず、そう苦労せずに人が通り抜けられるくらいまで洞口を広げた。そして、全員が入洞したところで、奥に向かって前進を開始した。通路は最初、斜めに傾いていたが、途中からはまっすぐに立って歩けた。しかし、50mほど進むと行き先は巨大な崩落岩塊で塞がれていた。
 今度の新洞窟は50mくらいかと思いながら、崩落岩塊のすき間にはまった岩を崩していると、人1人が通れるくらいのすき間が開いた。さっそく芦田が身体をねじ込んで上方に抜けると、そこから奥に向かって高さ10m、幅2mの巨大通路が続いていた。さすがにこの大きさには驚嘆した。
 途中、洞床がクレバス状に裂けているところをチムニーで移動しながら進むと、左側に洞口方向下へ向かう大きな支洞が現れた。とりあえずは奥へ向かうことにして、再びクレバス状のルートをチムニー移動する。しばらく行くと洞床に下に向かうルートがあるが、ここも奥に向かう。
 行き先は右に直角に曲がり、再び左に直角に曲がるクランク状になっている。三度チムニールートとなるが、ここはそのまま下に降りていくことにある。洞床に着くと、洞口方面に続くルートと奥に向かうルートがある。とりあえずは奥に向かう。しかし、奥側は少し行くと埋没しておしまいになる。
 そこで、洞口方面の下ルートを行くと、狭いながらも延々と続く。どうやら、来たルートのちょうど下を洞口方面に戻っているようであった。そして、最初の大きな左手の支洞とつながっていた。下層ルート自体はほとんど洞口付近まで続いていた。終端部は崩落して行き止まりだが、一番最初に見つけた大ガマタ沢のガレ穴とつながる可能性もある。
 探検の結果、最初の予想をこえて、少なくとも500m以上(埼玉県では第1位、関東では第5位)の新洞窟であることが判明した。今後、さらなる探検で、それ以上の長さになる可能性も充分に考えられる。PCCでは、この新洞窟を仮称『大ガマタ沢新洞』と命名し、今後も探検を継続することにした。また、付近にはまだ新洞窟がある可能性があるので洞窟探索も継続する予定である。

(芦田 記) 

 

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