パイオニアケイビングクラブ(PCC)の活動 


 

茨城県北部地域洞窟探索
 1985年6月29日(土)〜30日(日)。茨城県北茨城市及び高萩市で洞窟探査及びヒヤリングを行う。参加者はPCCから廣瀬、JCC2から菊池氏と横田氏の計3名。
 当日は、午後3時に西船橋の駅に集合し、午後4時に出発した。明治大学地底研究部の報告書にある高萩市の大金田集落の上流にある『大金田第1洞』(大金田では『愛宕神社の穴』と呼ぶため、以後『愛宕神社の穴』と呼ぶことにする)に到着したのが、午後8時過ぎだった。
『愛宕神社の穴』を確認した後に、30m程下流にある無名洞(地元でも名称がない)に入洞した。この洞穴は道より5m程の高さにある露岩の基部に、南に面して開口しており、全長55m、支洞数3、最大天井高4mという規模の穴だが、全体的には天井高が低く、はって進む程度の高さしかない。また、支洞は全て狭くなり、泥で埋没している。二次生成物は洞口より少し入った所に洞窟珊瑚が見られる他は、まったくない。ただし、洞壁(特に天井面)は白い結晶質の石灰岩で、一面スプーンカット状になっている。
 出洞後、増渕魚園に宿をとり、宿の主人にヒヤリングを行って、各集落で山に詳しい人の名前を聞いた。さらに、花園より大金田に向かう道の途中にある小洞穴の話も聞いた。道の左側、峠を越えてから2本目の沢を20m程下った南斜面に開口しているとのこと。
 30日は朝より雨のため、『猿ヶ城』の確認は後日行うことにし、花園神社に奉納されている『猿ヶ城』の額(写真)を見に行った。写真で見ると『猿ヶ城』は露岩の中腹に開口しており、比較的発見しやすいように思える。
 この後、各集落でヒヤリングを行った。その結果は次のとおり。
【家の前・山本勇氏】
・『猿ヶ城』に行くには、道路に北茨城市で設置した「猿ヶ城入口」という道標の所から沢に入り、2つ目の右より流入する窪に入って50m程登った右手の斜面に続く露岩地帯の中腹に開口している。
・『猿ヶ城』は、間口2間(約3.64m)、奥行き9尺(約2.73m)程の洞穴で、奥には横に裂け目があり、風が吹き出している(ローソクの火が消えてしまう)。
・大金田の昔の養殖場(石灰岩の採石計画のため、閉鎖した)付近に竪穴がある。
・花園神社から栄蔵室に上っていく沢の頂上直下の二股の右側の沢を登って行くと、露岩にぶつかり、その基部に湧水がある。水量は少ない。
【柳沢・鈴木トシ氏】
・かめやち付近の巨岩のある所に、奥行き2間(約3.64m)程の小さな穴がある。
・大北川の石灰岩地帯には、水のしみだしがある。
・鈴木氏宅の裏で200m程、水が伏流となっている。
・柳沢の集落の南方にあるアシオ神社(地図には記載されていない)付近に湧水がある。
【大金田・山形理氏】
・愛宕神社の手前の田を利用した昔の養殖池から500〜1000m程、右手に登って行くと石灰岩地帯がある。途中、民有林を抜け、国有林に入り、沢の二股を右に行く。国有林に入って50〜100m程で左手に登ると広葉樹林の近くに、かがんで入る程度の穴がある。
・さらに100m程、右手に奥へ登って行くと、植林した杉との境付近に浅い穴がある。はって入らなければならないが、中は広くなっている。
 
 以上が、今回のヒヤリングの結果である。予想していた以上に、多数の洞窟が確認できた。しかも、ほとんどの洞窟が本格的な調査、探検、測量などがなされておらず、また、洞窟関係者にも、その存在を知られていない。
 なお、ここの石灰岩地帯にも福島の鉱山会社の採石計画があるとのことである。

(廣瀬 記)  

 

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