パイオニアケイビングクラブ(PCC)の活動 


 

大沢第1次洞窟探索
 1983年11月13日(日)、東京都西多摩郡奥多摩町大沢で第1次洞窟探索を行なう。参加者は芦田、上田、深田の3名。
 8:15、不老バス停でバスを降り、不老集落経由で大沢に向かう。途中までは不老鍾乳洞へ行く作業道(1999年時点は廃道)と同じである。9:00ごろ、作業道を捨てて、植林された杉林の中に入る。杉林の山腹を少しずつ登りながら大沢に向かって前進する。山に入ってから15分後、各自、トランシーバーを携帯して散開する。
 さらに山腹を少しずつ登るようにして進むと、小さな涸れ沢に出る。そこを渡ると、先は植林地帯から雑木林に変わる。そして、小さな尾根を越えると前方に石灰岩の崖が現れる。崖が始まる左の方へ登っていき、岩壁下沿いに右の方へ移動していくと、倉沢の小白竜窟があっとところと同じような雰囲気の場所にたどり着く。
 芦田が岩壁を見回すと、少し登ったところに裂け目状の洞口を発見した。そこまで登って、のぞいてみると奥が続いていそうだった。ちょうど10:00の定時連絡の時間になったので、トランシーバーで上田、深田の両名と連絡をとり、その場へ誘導する。この間、すぐ近くで深さ5mほどの縦穴を発見。それ以上奥は続いていない。とりあえず、これは仮称『大沢右岸の穴第一洞』(略称OO−R1)と命名する。
 3人がそろったところで、先に発見した裂け目状の洞口に向かう。洞口には枯れ木がはえていて、そのままでは入洞できなかったので、枯れ木を排除した。洞幅は人間の胸の厚さぐらいしかないうえ、洞窟珊瑚があるので非常に入洞しにくい。
 洞窟は一見入ってすぐに行き止まりのように見えるが、足下から斜めに下るクレバスが続いている。そこを5mほど降りると再び行き止まりに見えるが、その先が垂直のクレバスに変わるためである。そのクレバスをチムニーしながら、芦田、深田、上田の順で下へ降り、奥へ向かう。
 先頭の芦田が狭いクレバスのいちばん底に到着したとき、突然、すごい音とともに、頭上に何かが落ちてきた。芦田は一瞬、「落石か!」と思ったが、落石にしてはヘルメットに衝撃が少なく、また、いつまでも安定しない。よく耳をすますと、ヘルメットをガリガリとこするような音とヴーッヴーッという獣のうなり声が聞こえた。
 芦田は頭の上の重さから「タヌキ!」と思ったが、その動物が上方に去ったとき、二番手の深田がその正体を確認した。深田は「クマだーっ!」と叫びながら、後方に3m下がった。その目前をクマはクレバスの中を上方に駆け上がっていく。最後尾の上田は頭上を通り過ぎていくクマを見て、ツキノワグマの子どもであることをはっきりと確認した。
 あっという間の出来事であった。3人とも、しばらくの間、茫然自失の状態であった。まさか奥多摩の、それほど山奥でない場所でクマに出会うとは……。地上や洞口付近ならまだしも、こんなまったく光がない洞窟の奥の方で遭遇するとは、とても信じられない出来事であった。
 ツキノワグマは洞口の方に向かって登っていったが、はたして、外に逃げたかどうかはわからない。3人で話し合った結果、とりあえず洞窟の奥の方へ進むことにする。クマのことは洞窟を出るときに考えることにした。
 この洞窟は上下が10mほどのクラックに発達したもので、上方は多少広いが、下方は非常に狭い。しかし、下の方の洞壁はフローストーンに近い感じで、滑らかであった。4〜5cmのつらら石も見られる。また、最奥部の上の方には幅30cm、長さ3mあまりの見事なカーテンが2枚もあった。
 さらに上方に延びる縦穴を登っていくと、外光が見えてきた。なんと、この洞窟にはもう1つ洞口があったのである。洞口付近の地面にはクマのものと思われる足跡があった。どうやら洞内で遭遇したクマは、こちら側から入洞して、洞内上層部を移動中、反対側から入洞してきた人間に驚いて足を滑らせ(?)、芦田の頭の上に落下したようである。
 この洞窟は本来なら『大沢右岸の穴第二洞』(略称OO−R2)と命名すべきところであるが、今回のクマ遭遇事件により『大沢の熊穴』と正式に命名した。第2洞口から出洞し、尾根を越えて、そっと第1洞口の方へ回り込んでみたが、心配したクマはどこにも見当たらなかった。しかし、付近に親グマがいる可能性もあったので、洞口前に置いた荷物を回収した後、急いで山を下りた。

(芦田 記)  

 

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