パイオニアケイビングクラブ(PCC)の活動 


 

倉沢鍾乳洞探検ケイビング
 1983年3月6日(日)、東京都西多摩郡奥多摩町倉沢の倉沢鍾乳洞で第8次探検ケイビングを行なう。参加者は芦田、古賀、斉藤、白幡、廣瀬の5名。
 今回の探検の目的は倉沢鍾乳洞最奥部付近にある支洞を徹底的に探査することである。よって、どこにも寄り道せず、まっすぐ馬の背まで行き、ワイヤーバシゴを降ろした。馬の背の谷底からは前回の倉沢鍾乳洞第7次練習ケイビングで見つけたバイパスルートで最奥部に向かった。土管状ルートを通らなかったため、洞口から30分弱で最奥部付近に達した。
 この付近は馬の背に比べ、ずいぶんと気温が低い。はたして、この付近に倉沢の大岩壁のどこかに出るルートがあるのであろうか? 支洞を1つずつつめていくが、いずれも行き止まりだったり、ループをえがいて戻ってきたりで、それ以上奥へは進めなかった。
 結局、新ルートの発見は断念して、最奥部のガレ場ホール(過去の入洞者の、有名な入洞記念プレートがある)の行き先──ガレキと土砂で埋まっているところを掘ってみることにした。そのガレキのすき間から冷風が吹き出していたので、ガレキの向こうに必ず空間があると確信したからだった。
 最初は水平方向へ掘り進んでいたが、天井の岩盤に沿って徐々に上方に向かって掘り進んでいくようになる。おかげで上から石が頭を直撃するコースで落ちてくるようになり、命がけの作業となった。そんな悪戦苦闘の作業を1時間ほど行なったところ、突然、進行方向の天井にポッカリと小さい穴が開いた。ライトを向けてみると、向こう側の空間はずいぶんと広いようだった。
 やった! 新洞発見だ!! ということで、すぐに人間が通れるぐらいまで、開いた穴を広げ始めた。そして、もう通れるだろうという広さになったところで、芦田が期待に胸を躍らせて突っこんでみると、顔の真正面の洞床に石積みのケルンがあった。これはいったい? と首を傾げながら、貫通部から抜け出すと、そこは人がたてるくらいの通路で、ちょうど岩壁によって行き先が終わっているところだった。その岩壁下の洞床にポッカリと穴が開いていた。それは今、はいい出してきた貫通部だった。
 とりあえず、その通路を進んでいくと、なんと主洞からひょうたん池に向かう通路の途中に出てしまった。つまり、抜け出たところは新洞ではなく、ひょうたん池方面からの支洞の終端部だったのである。測量図面ではガレ場ホールと支洞の終端部は相当離れていたので、まさかすぐにつながるとは思ってもいなかったのである。結局、今まで最奥部と言われていたところは最奥部ではなく、主洞のバイパスルートの中間地点だったわけである。
 なお、ついでだったので、ひょうたん池に行ってみると、池の水が涸れていた。この現象は初めての経験だった。そして、いつもは水がある、泥が堆積したルートを進んでいくと、洞壁に斜めに走る裂け目があり、風が吹き出していた。今回は時間切れで探査できなかったが、次回にはチャレンジしたいと思う。
 今回のガレ場掘削作業では新洞こそ発見できなかったが、これまで最奥部と思われていて、洞口から到達するのに30分弱かかっていた場所へたった5分ほど行けるようになったこと。倉沢鍾乳洞に周遊コースができたこと。さらに測量図面が大幅に訂正可能になったことなど、それなりの成果があったと思われる。
 今回の探検の結果から倉沢鍾乳洞の本当の最奥部は馬の背の谷底から、これまでとは逆方向に向かうルートの行き先にある深さ15mほどの大クレバスではないかと考えられる。この大クレバスの底から、さらに下に向かうルートがあるからである。これらのルートも近いうちに探検したいものである。

(芦田 記)  

 

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