パイオニアケイビングクラブ(PCC)の活動 


 

倉沢谷洞窟探索/倉沢鍾乳洞練習ケイビング
 1983年1月15日(土)、東京都西多摩郡奥多摩町倉沢の倉沢鍾乳洞で第7次練習ケイビングを行なう。また、倉沢谷で洞窟探索も行なう。参加者は芦田、白幡、廣瀬、村井、渡辺の5名。
 今回は先発組(芦田、白幡、廣瀬)と後発組(村井、渡辺)に分かれて出かけた。先発組は後発組より2時間早く現地に到着して、倉沢谷で洞窟探索を行なった。
 まず、倉沢の水穴に新支洞がないかどうかを調べた。行き先の水没部はまったく先に進めないが、上方に2か所、縦穴があり、チムニーを使って入洞を試みた。しかし、狭いクレバス状で、そのうえ、わずかであるが洞壁が水で濡れていたため、チムニーで登ることができなかった。残念ながら、この縦穴へのアタックは今回は断念することにした。次の機会には登攀装備を用意したい。
 次に少し上流の左岸岩場に、そこを登りやすくするような感じに木が立てかけてある場所があった。その上に洞窟があるのではないかという期待をもって、廣瀬が登ってみたが、とくになにもなく、期待はずれであった。
 さらに左岸側のガレ沢に回り込んで行き、上方にある岩場を調査してみると、小さな洞口を発見した。すぐに行き止まりだろうと思いながら、芦田が入洞してみる。寝そべって足から入り、約3mほどの斜洞を降りきると、洞内は思ったよりも広く、左右に続いていた。
 左手はすぐに小ホールとなっていて行き止まり。右手はほんの少し行って、2mほど縦穴を登る。すると穴は直径1mほどの土管状の斜洞となり、上に向かっている。そこにはつらら石や石筍、カーテンなどの二次生成物が見られた。石筍の中には直径15cm、高さ50cmのものもあった。そして、斜洞は約5mほどで行き止まりになる。
 一方、左側にある小ホールは、よく調べてみると、最奥部の洞床付近に高さ10cm弱の隙間があった。洞床が土だったので、さっそく掘り下げて人間が通れるくらいまで広げてみた。そこを通り抜けると3mほど続き、再び埋没していた。ただ、もっと掘れば、先が続きそうな雰囲気である。だが、今回は倉沢鍾乳洞での練習ケイビングがあったので、それ以上の作業は断念した。
 この洞窟の総延長は約25mほどで、たいした規模ではないが、倉沢鍾乳洞にはほとんどない二次生成物があることから、小さいながらも価値のある洞窟である。洞床の状態、二次生成物の破損がないこと。さらに縦穴付近がまったく汚れていなかったことから、この洞窟はPCCが初めて入洞した新洞であるとこはまちがいない。そこで、この洞窟を『倉沢のもぐら穴』と命名した。
 午後からは後発組と合流して、倉沢鍾乳洞に入洞した。支洞には寄り道せず、本洞奥部にある馬の背に向かった。この日、倉沢鍾乳洞には別のグループも入洞していた。馬の背には、そのグループが設置したザイルがあった。
 馬の背から土管ルートを通って最奥部の方に向かった。土管ルートは狭いうえに上下に何回か屈曲していて、通り抜けるのに苦労するルートである。奥部で支洞の行き先を調べているうちに、馬の背の谷底に抜けるルートを見つけた。これで最奥部方面に短時間で抜けられるようになり、今後、最奥部支洞を探索するにあたり非常に便利になった。また、最奥部では冷気の吹き出しを感じる場所があったが時間切れで調べることができなかった。次回の課題としたい。

(芦田 記)  

 

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